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	<title>大分活性化宣言！</title>
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	<description>大分のグルメ・観光・温泉・イベント…情報満載！地域最強ブログ</description>
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		<title>大友宗麟の性格</title>
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		<comments>http://active-oita.net/archives/686#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 06 Jul 2010 13:40:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ケンジ</dc:creator>
				<category><![CDATA[特集企画]]></category>
		<category><![CDATA[大友宗麟]]></category>

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		<description><![CDATA[大友宗麟の一生を振り返る前に、宗麟公がどういう人物だったのか知るための努力をしてみました。
以前の記事に書いた通り、大友宗麟という人物は評価が激しく分かれるのが特徴的で、それらは歴史に残された彼の数々の行動に影響されてい [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>大友宗麟</strong>の一生を振り返る前に、宗麟公がどういう人物だったのか知るための努力をしてみました。</p>
<p>以前の記事に書いた通り、<strong>大友宗麟</strong>という人物は評価が激しく分かれるのが特徴的で、それらは歴史に残された彼の数々の行動に影響されています。</p>
<p>なぜあの様な行動をとったのか？<br />
 なぜあんな事をしたんだろ？</p>
<p>その根本を探るためにも、宗麟公の人となりを知ることは非常に重要な事だと思います。</p>
<p>しかし、残念な事に数々の歴史書の中で宗麟公が出てくるのは、家督を継ぐ直前です。</p>
<p>つまり、幼少時代～少年時代という大事な時期の宗麟公の姿がなかなか見えてきません。</p>
<p>そこで大分活性化宣言！では、謎のベールに包まれた大友宗麟の幼少時代～少年時代を追ってみることにしました。<br />
 そのために目を通した多くの資料の中から、<strong>大友宗麟</strong>の人となりを炙り出し、その人格形成の原因となった若き日の宗麟公を深く探ってみます。</p>
<p>皆さんはどの様な性格の宗麟公象を描いていますか？<br />
 また新しい宗麟公が必ず発見できるはずです。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<div id="attachment_682" class="wp-caption aligncenter" style="width: 260px"><img src="http://active-oita.net/wp-content/uploads/2010/07/P1350798.jpg" alt="大分市　イベントホール内　大友宗麟像" title="P1350798" width="250" height="187" class="size-full wp-image-682" /><p class="wp-caption-text">大分市　イベントホール内　大友宗麟像</p></div>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>まずは、当時の資料の中から、宗麟公の性格について言及している部分をまとめて抜粋します。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>「行儀は悪く、いつも怒っている様子で、罪のない者に成敗を加え、手打ちにする事も多く、神仏を敬わず…」<br />
 「民の迷惑を顧みず、人から非難されても知らん顔。気に入った家来衆は忠義心がなくても寵愛され…」<br />
 （以上『大友興廃記』より）</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>「御器量は特に優れているが、物事を実行するのに独断心が強く、家臣の諌めも聞き入れない。家来衆はその心を計りかね、万民は恐れを抱いていた。」<br />
 「素行が荒く、手習いに身が入らず、朝夕兵法の早業に熱中し、自分の思い通りに行動して…」<br />
 （以上『豊筑乱記』より）</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>基本的にこれらの記述は、宗麟公が元服し、家督を譲り受ける直前に若き日の宗麟公の紹介という意味で出て来ます。<br />
 御覧の通り、散々な言われ様ですが、これをただのうつけ者と取るか、大物だと取るかは十人十色でしょう。なぜなら、宗麟公より4つ年下で同世代の戦国武将に、同じ様な評価をされている大人物がいるからです。もうお分かりですよね。尾張の大うつけと称されるあの織田信長の若い頃の描写に、凄く良く似ています。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>ここまでの記述をまとめてみると、こんな若き日の<strong>大友宗麟</strong>像が浮かび上がってきます。</p>
<p><span style="color: #008000;">・自由奔放で誰の言う事も聞かない<br />
 ・感情の変化が激しく、気分次第で無実の者を弾劾する事もあった。<br />
 ・勉強嫌いだったが、こと戦に関しては人一倍頑張っていた。</span></p>
<p><span style="color: #008000;"><br />
 </span></p>
<div id="attachment_683" class="wp-caption aligncenter" style="width: 260px"><img src="http://active-oita.net/wp-content/uploads/2010/07/P1350738.jpg" alt="大分市　城址公園内　大友宗麟像" title="P1350738" width="250" height="187" class="size-full wp-image-683" /><p class="wp-caption-text">大分市　城址公園内　大友宗麟像</p></div>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>では、大友興廃記を参考に、どういうタイムテーブルで宗麟公の人格が形成されたのか、追ってみます。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>・9歳の頃<br />
 乳母と共に柞原八幡宮に参拝した宗麟公。<br />
 乳母は「九州九ケ国の大将になりますように」と祈ったところ、宗麟公は「祈るなら50～60ケ国の大将になる様に祈れ」と言った。</p>
<p>・10歳の頃<br />
 豊前宇佐郡で反乱が起こり、父・義鑑はこれを征伐する事を決めた。<br />
 そこで宗麟公は自ら従伐軍の総大将を願い出た。</p>
<p>・14～5歳の頃<br />
 暴れ馬に乗り、鷹や鹿狩りに夢中になっていた。<br />
 総じて、荒きことだけを好み、柔らかきことに見向きもしなかった。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>これらを見る限り、生まれつき勝気な性格だったことに間違いはないように思われますが、十代前半を境に宗麟公の人格が粗暴になり、最終的に手の付けられない若者になって行ったと想像できます。現代でも一番難しい時期とされる、思春期時代の宗麟公に一体何が起こったのでしょうか？</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><strong>大友宗麟</strong>は享禄3 年1月3日（1530年1 月31日）、大友第二十代当主<strong>大友義鑑</strong>と、母である<strong>大内義興</strong>の娘（異説あり）の間に生まれます。</p>
<p>幼少時代から父・義鑑も宗麟公を大友家の跡取りとして期待していたはずです。<br />
 その証拠に、宗麟公の幼名には、自らも名乗っていた大友家嫡男の証でもある『塩法師丸』『五郎』を名乗らせていますし、元服の際には多額の献上をして、足利将軍家から『義』の一時を貰い、『義鎮』と名乗らせています。<br />
 元服したのが1540年ですから、つまり十歳の時点ではまだ父親も期待するほどの子供だった可能性が高いのです。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>しかし、その直後宗麟公の周りに劇的な変化が起こります。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>母親の死です。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>さらに、母親の死後、間もなくして父は後妻を娶ります。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<div id="attachment_684" class="wp-caption alignright" style="width: 197px"><img src="http://active-oita.net/wp-content/uploads/2010/07/P1350746.jpg" alt="大分市　神宮寺浦公園内　大友宗麟像" title="P1350746" width="187" height="250" class="size-full wp-image-684" /><p class="wp-caption-text">大分市　神宮寺浦公園内　大友宗麟像</p></div>
<p>大分活性化宣言！では、<span style="color: #ff0000;"><em>この母親の死こそ、宗麟公の人格形成に大きな影響を及ぼした可能性が高い</em></span>と考えています。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>戦国時代という厳しい世界の中で、国主の嫡男として生まれ育った宗麟公にとって、優しい母親は唯一心が安らげる安息の場所だった事でしょう。</p>
<p>しかし、ある日突然その心の拠り所が消えてなくなくなります。</p>
<p>残されたただ一人の父親は、外敵内敵から国を守るために戦に明け暮れる毎日。<br />
 しかも、舌の根も乾かないうちに、後妻を娶って、子作りに励む始末。</p>
<p>こうして、現代でいうところの不良少年として、その名を豊後中に轟かせていく事になったのではないでしょうか？</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>では、家督を継承し、大人になった宗麟公は不良少年時代と比べ真面目に変わったのでしょうか？<br />
 答えは否です。</p>
<p>キリシタンとして知られる宗麟公ですから、さぞかし真面目で丁寧な言葉遣いを想像してしまいますが、そこは戦国の世を渡り歩いた一武将。手が付けられないほど好色家で、遊び好きだったと言われています。</p>
<p>ここに面白いエピソードがあります。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>永禄3年（1560年）、<strong>大友宗麟</strong>が九州の大半を制し、自身はもちろん大友家にとっても全盛期だったころの話。 <br />
 家督を継いで僅か十年ほどで九州の大半を制した宗麟公は次第に酒色にふけり、国政に無関心になっていきました。<br />
 家臣らはなんとか生活態度を改めてもらおうと考えましたが、宗麟は話を聞くどころか城に篭って誰にも会おうとはしませんでした。 <br />
 そんな時、重臣の一人<strong>戸次鑑連</strong>が予想外の行動を取ります。</p>
<p><strong>戸次鑑連</strong>と言えば、自他共に認める大友家No1の堅物。<br />
 そんな彼がいきなり、京から踊り子を呼び寄せ、宗麟公以上の酒宴の日々を送り始めたのです。<br />
 周りの人間は戸次の変わり様に驚きました。宗麟公自身も驚いた事でしょう。そんな時、戸次は自分の酒宴に宗麟公を招待します。<br />
 恐る恐る出向いた宗麟公でしたが、そこは飲めや歌えやのお祭り騒ぎ。<br />
 徐々に宗燐公の疑心も和らぎ、宴もたけなわになったところで、戸次は涙を流しながら宗麟公に説教を始めます。<br />
 こうして宗麟公は、自分の行いを恥じたのです。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><strong>戸次鑑連</strong>とは、<strong>大友宗麟</strong>配下で最も有名な大友家最強の武将・後の<strong>立花道雪</strong>の事です。<br />
 生真面目で上司に対しても臆すことなく意見を述べる道雪と、子供の様に衝動を抑えきれない宗麟公の二人の性格が良く分かるエピソードです。<br />
 この事件の後、暫くはさすがの宗麟公も大人しかったそうなのですが、また元に戻った事もお忘れなく(笑)</p>
<p>ちなみに…<span style="color: #ff0000;">このエピソードの際に、道雪が宗麟公のために披露した踊り子の踊りこそ、400年以上のの歴史を持つあの<strong>鶴崎踊り</strong>の起源だと言われています。</span></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<div id="attachment_685" class="wp-caption aligncenter" style="width: 260px"><img src="http://active-oita.net/wp-content/uploads/2010/07/P1350761.jpg" alt="大分駅前　大友宗麟像" title="P1350761" width="250" height="187" class="size-full wp-image-685" /><p class="wp-caption-text">大分駅前　大友宗麟像</p></div>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>様々な資料を紐解きながら、<strong>大友宗麟</strong>公の人となりについて、幼少時代から少年時代を中心に紹介してみました。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>一般的なイメージとして…</p>
<p>大分県民には、開明的で一時代を築いた英雄としての<strong>大友宗麟</strong>。<br />
 県民以外の皆様には、仏教を弾圧したキリシタン大名としての<strong>大友宗麟</strong>。<br />
 江戸時代の書物には好色家で好戦的、哀れな最期を迎えた<strong>大友宗麟</strong>。<br />
 ルイス・フロイスを初めとした宣教師達からは大絶賛される<strong>大友宗麟</strong>。</p>
<p>そんな感じで現代人は見ているものと思われます。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>しかし、こうして見てみると、長所と短所が絶妙に交差し、当然会った事がないはずの宗麟公に人間臭ささえ感じる事ができます。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>さて青年時代に話を戻しましょう。<br />
 父・<strong>大友義鑑</strong>は、粗暴で悪い噂の絶えない宗麟公に対し、徐々に不信感を募らせていきます。<br />
 さらに、腹違いの弟である塩市丸は、『性質賢才にして「聡明子」とも呼ばれる程立派な人物だった』（両豊記）らしく、義鑑の後妻で宗麟公の継母にあたる母も、宗麟公の摘廃を狙い始めます。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>これらの小さな流れが大きなうねりになって、豊後国史上最大の大事件へと繋がっていきます。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>次回はいよいよ、宗麟公の人生を大きく左右した大事件、『<strong>大友二階崩れの変</strong>』の真実に迫りたいと思っています。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<hr />
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><span style="background-color: #ffff00;">この記事の参照文献</span></p>
<ul>
<li>『大分県史』</li>
<li>大分市教育委員会発行　『中世大友再発見フォーラムⅡ　府内のまち　宗麟の栄華』</li>
<li>大分合同新聞　『大友宗麟　その虚と真実』</li>
</ul>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><span style="background-color: #ffff00;">取材協力</span></p>
<ul>
<li>大分市教育委員会</li>
<li>大分イベントホール</li>
</ul>
<p><br class="spacer_" /></p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>大友宗麟を追え！</title>
		<link>http://active-oita.net/archives/672</link>
		<comments>http://active-oita.net/archives/672#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 20 May 2010 11:33:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ケンジ</dc:creator>
				<category><![CDATA[特集企画]]></category>
		<category><![CDATA[大友宗麟]]></category>

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		<description><![CDATA[大分県出身の著名人と聞いて、誰を想像しますか？

日本を代表する思想家で、一万円札の代名詞にもなっている福沢諭吉。
日本の黎明期に斬新な音楽を発表し、若くして伝説になった音楽家・滝廉太郎。
前人未到の69連勝をはじめ、近 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>大分県出身の著名人と聞いて、誰を想像しますか？</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>日本を代表する思想家で、一万円札の代名詞にもなっている福沢諭吉。</p>
<p>日本の黎明期に斬新な音楽を発表し、若くして伝説になった音楽家・滝廉太郎。</p>
<p>前人未到の69連勝をはじめ、近代の相撲史に金字塔を打ち立てた昭和の大横綱</p>
<p>双葉山。</p>
<p>他にも財政界・スポーツ界・芸能人など、多くの人物を思い浮かべることが出来ます。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>ですが、「大分の歴史上の偉人」と聞いて、この人の名を忘れる大分県民は少ないでしょう。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><span style="font-size: xx-large;"><span style="color: #ff0000;"><strong>大友宗麟</strong></span></span></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>戦国時代、今の大分県の礎を築いた戦国武将。正確な名を<strong>大友義鎮</strong>。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>では、宗麟公はどんな人生を送り、どんな活躍をしたのでしょうか？</p>
<p>実はこの内容を知る大分県民は少ないのです。</p>
<p>大分の人が知らないのですから、当然全国に目を向けるともっと知名度は低くなります。</p>
<p>今日は、大友宗麟の生涯を追いながら、彼が大分県に残した功績から彼にまつわる謎まで、現時点で分かる範囲を調べてみたいと思います。</p>
<p>そして！</p>
<p>一年ぶりとなる、大分活性化宣言！の新企画を発表します♪</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><img src="http://active-oita.net/wp-content/uploads/2010/05/sorin_1b-300x225.jpg" alt="sorin_1b" title="sorin_1b" width="300" height="225" class="aligncenter size-medium wp-image-671" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>大友宗麟は、知れば知るほどその人となりについて様々な疑問が浮かぶ人物です。</p>
<p>そのせいか、現在のマニアの間では評価が激しく分かれています。「偉人」と思う人も彼のダークなイメージを否定出来ませんし、「嫌いだ」と思う人も彼の偉業の事実から目は逸らすことは出来ません。</p>
<p>では、まずは時系列を追いながら、大友宗麟の生涯を軽く触れていこうと思います。</p>
<p>名付けて、</p>
<p><strong>「10分で分かる大友宗麟」</strong></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<h2>プロローグ　大友氏大分支配への道</h2>
<p><br class="spacer_" /></p>
<div class="mceTemp">
<dl id="attachment_681" class="wp-caption alignright" style="width: 260px;">
<dt class="wp-caption-dt"><img src="http://active-oita.net/wp-content/uploads/2010/05/P1140914.jpg" alt="津久見市　宗麟公園" title="津久見市　宗麟公園" width="250" height="188" class="size-full wp-image-681" /></dt>
</dl>
</div>
<p>大友氏は実は最初から大分にいたわけではなく、元は初代当主の能直（よしなお）が相模国の大友荘を支配したことから始まっています。今で言う神奈川県出身の家柄と言うわけです。</p>
<p>あの源頼朝の下で大活躍をした初代当主能直は豊前・豊後両国守護兼鎮西奉行に任じられ、大分の地を治めることになりました。しかし、この時点ではまだ大友氏が直接この地で生活していた記録はなく、三代目の頼康（よりやす）あたりから、土着したのではないかと考えられています。</p>
<p>当初は、現在でいう豊後大野市などの一部の荘園を所有していた大友氏は、室町幕府に時代が変わっても、足利尊氏などと親交を深め、時代に合わせた巧みな外交術で徐々に県内の支配を広げていきます。</p>
<p>肥後・肥前、筑前・筑後など、影響力を徐々に広げていった大友氏でしたが、楽にそうなったわけではなく、常に内部紛争を繰り返しながら、強固な体制を築き上げていきます。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<h2>第一章　骨肉の争い</h2>
<p><br class="spacer_" /></p>
<div class="mceTemp">
<dl id="attachment_674" class="wp-caption alignright" style="width: 260px;">
<dt class="wp-caption-dt"><img src="http://active-oita.net/wp-content/uploads/2010/05/ootomoyakata.jpg" alt="大友館跡地　大分市上野地区" title="大友館跡地　大分市上野地区" width="250" height="167" class="size-full wp-image-674" /></dt>
</dl>
</div>
<p>日本全国が乱れ始める1500年代序盤、大友氏は第二十代当主・<strong>大友義鑑</strong>（よしあき）は、九州に覇を唱えるために、実弟のいる肥後を支配しようとするなど、戦国時代らしい動きを活発化背させて行きます。</p>
<p>そんな享禄3 年1月3日（1530年1 月31日）、義鑑に待望の第一子が誕生します。幼名を塩法師丸。後の<strong>大友義鎮</strong>で世に言う大友宗麟公です。</p>
<p>宗麟公の幼少時代は、とんでもないうつけ者だったと言われています。しかも体が弱かったらしく、父・義鑑は彼が世継ぎとして相応しいのかどうか悩みます。さらに側室との間に生まれた三男の<strong>塩市丸</strong>を寵愛し始め、腹心の<strong>入田親誠</strong>と企みついに宗麟公の廃嫡計画を実行しようとしました。</p>
<p>宗麟公を湯治に行かせた間に、義鑑は重臣を集め、後継者を塩市丸にすることを相談します。ところが、これに異を唱えた部下が数人出てきました。義鑑はこれに激怒し、反対派を粛清しようとします。一旦難を逃れた反対派の数名は、この仕打ちに対しついに反旗を翻し、1550年2月10日、大友館の二階で寝ていた一家を襲撃し、塩市丸とその母を殺害、義鑑も重傷を負い、この二日後に息を引き取りました。これが俗に言う<span style="color: #0000ff;"><strong>二階崩れの変</strong></span>です</p>
<p>別府から帰って来た宗麟公は、ただちに事件を解決すべく、入田親誠を反乱の首謀者として首を取り、ついに自ら第二十一代当主となったのです。宗麟公二十歳の誕生日後の話です。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<h2>第二章　全盛期へ</h2>
<p><br class="spacer_" /></p>
<div class="mceTemp">
<dl id="attachment_675" class="wp-caption alignright" style="width: 210px;">
<dt class="wp-caption-dt"><img src="http://active-oita.net/wp-content/uploads/2010/05/450px-Otomo_Sourin_Statue_at_Oita_Sta.jpg" alt="JR大分駅前　大友宗麟像" title="JR大分駅前　大友宗麟像" width="200" height="267" class="size-full wp-image-675" /></dt>
</dl>
</div>
<p>宗麟公が実権を握ってからというもの、大友豊後の快進撃は目を見張るものがあります。</p>
<p>第一の理由は幸運。長い間親族でありながら争いを続けてきた周防の大内氏が謀叛により衰退し、弟を新当主として送り込むことで長い対立の歴史に終止符を打ちます。北九州方面に影響力を持っていた大内氏を取り込むことで、大友の名は本州にまで轟き始め、博多を手に入れて経済的にも磐石の態勢を築き上げていきます。</p>
<p>第二に優れた配下武将の活躍。特に知られているのは<strong>立花道雪</strong>として知られる<strong>戸次鑑連</strong>（べっき　あきつら）。主に筑前方面を歴任し、大内氏を滅ぼした<strong>毛利元就</strong>を初めとする毛利氏との長い戦いでは最前線で活躍します。これらの優秀な武将に恵まれ、宗麟公は北に南にと、勢力を拡大していきます。</p>
<p>永禄2 年（1559 年）6月には、豊前国・筑前国の守護に任ぜられ、同年11月には九州探題に補任されます。さらに永禄3年（1560年） に左衛門督に任官。 こうして宗麟公は名実共に九州に置ける最大版図を築き上げ、大友氏の全盛期を創出したのです。</p>
<p>ところで、こんな時期に宗麟公はある運命的な出会いを果たします。日本に初めてキリスト教を伝えたことで知られる<strong>フランシスコ・ザビエル</strong>です。宗麟公は彼らとその教えに深い関心を示し、宣教を許可しますが、これに反対した家臣団との間に大きな確執も生まれ、これによる内紛・紛争はこの後も飽きることなく繰り返されていくのです。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<h2>第三章　北と南と洗礼</h2>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><a><img src="http://active-oita.net/wp-content/uploads/2010/05/300px-LuisdeAlmeida.jpg" alt="300px-LuisdeAlmeida" title="大分市遊歩公園　ルイス・アルメイダ像" width="250" height="188" class="alignright size-full wp-image-676" /></a>将軍家である足利家の仲裁で一旦は収まった筑前地方での毛利氏との戦いは、大友家重臣の謀叛という小さな種火から、また燃え盛る事になります。宗麟公は戦場だけではなく、様々な手を用いて何とかこれを防いで来ましたが、今度は南に目を向け、肥前の<strong>龍造寺隆信</strong>を討つ決意をし、南征の兵を挙げます。</p>
<p>元亀元 年（1570年）、肥前で行われた今山の戦いにおいて、大友勢は竜造寺氏の前に大敗を喫し、宗麟公の弟である親貞もここで戦死します。この敗戦の後に結ばれた和睦は当然大友氏にとって不利な条件となり、結果宗麟公は北に南に、敵を残す結果になってしまったのです。</p>
<p>天正4年（1576年）、家督を長男の<strong>大友義統</strong>（よしむね）に譲って丹生島城（現在でいう臼杵城）へ隠居することになった宗麟公。この時の年齢はまだバリバリの46歳。当然隠居とは名ばかりで、息子の義統と二次元政治がこの時から始まる事になります。</p>
<p>翌年、薩摩の<strong>島津義久</strong>が日向侵攻を開始します。このタイミングで宗麟公はついに正式にキリスト教の洗礼を受け、教徒となります。天正5年（1577 年）7月のお話。洗礼名は有名な『<span style="color: #0000ff;"><strong>ドン・フランシスコ</strong></span>』。以後、家臣へ宛てた書状の中などでは自身の署名として「府蘭」を用いている事からも、その信仰心の厚さが窺えます。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<h2>第三章　大敗からの衰退</h2>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><img src="http://active-oita.net/wp-content/uploads/2010/05/P1140917.jpg" alt="津久見市　大友宗麟墓地" title="津久見市　大友宗麟墓地" width="200" height="267" class="alignright size-full wp-image-680" />いよいよターニングポイントとなった大きな戦いがやって来たのは天正6年（1578年）。</p>
<p>薩摩から勢いに乗って進行して来た島津軍を日向で迎撃しようとした宗麟公は、島津寄りの土持氏を攻略し、再び現在の延岡市一帯を掌握しますが、<span style="text-decoration: underline;">理想のキリスト教国家を目指した宗麟公は、この地の神社仏閣をことごとく焼き払います。この為、宮崎県北部の歴史的な文化財はこれが原因でほぼ壊滅したと言われています。</span></p>
<p>この年の十一月、九州の最大勢力を争う両雄がついに本格的に激突。高城川を挟んで9日に開戦した戦いは僅か3日後の12日、倍ほどの兵数を配置していた大友勢が大敗を喫し、陸路を逃げる大友勢を島津軍が追撃。折りしも大雨で増水した耳川で多くの戦死者を出した事から、この戦いは一般的に『<span style="color: #0000ff;"><strong>耳川の戦い</strong></span>』と呼ばれることになります。</p>
<p>耳川の敗戦で多くの兵と優秀な武将を失い、さらにこの大敗は異教に身を投じた宗麟公の責任だと弾劾する者まで現れ始めます。また二次元政治の影響から、息子の義統との確執も表面化し、また宗麟公は内紛や政治的問題に悩まされる事になります。</p>
<p>追い討ちをかけるように、島津だけではなく、仇敵の龍造寺や筑前の<strong>秋月種実</strong>（あきづき　たねざね）らが続々と大友氏の領土を侵し始めます。北部地方に睨みを利かせていたはずの立花道雪もこの最悪のタイミングで死去。絶好機と見た島津軍はついに本格的に豊後国占領に向けて動き始めるのです。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<h2>第四章　国崩しと最期</h2>
<p><br class="spacer_" /></p>
<div class="mceTemp">
<dl id="attachment_679" class="wp-caption alignright" style="width: 260px;">
<dt class="wp-caption-dt"><img src="http://active-oita.net/wp-content/uploads/2010/05/P11409271.jpg" alt="津久見市　大友宗麟墓地" title="津久見市　大友宗麟墓地" width="250" height="188" class="size-full wp-image-679" /></dt>
</dl>
</div>
<p>宗麟公が最後に仕掛けた苦肉の策は、この時天下統一へ向けて着々と準備を進めていた<strong>豊臣秀吉</strong>に助けを請うことでした。九州平定を目論んでいた秀吉はこの要請を受けて、土佐の<strong>長宗我部</strong>（ちょうそかべ）親子や讃岐高松にいた<strong>仙石秀久</strong>（せんごく　ひでひさ）らを派遣します。</p>
<p>破竹の勢いで進軍して来た島津軍は一万の兵をもって現在の戸次地区にあった鶴賀城を包囲。これに対し仙石率いる豊臣軍は僅か六千程の兵で決戦を挑みます。天正14年12月12日（1587年1 月20日）、世に言う<span style="color: #0000ff;"><strong>戸次川の戦い</strong></span>。豊臣軍は多くの犠牲者を出して大敗。援軍を送るはずだった宗麟公の息子・義統は動く事ができず、翌日ついに島津軍は大友氏の本拠地・府内制圧に成功します。</p>
<p>宗麟公はこの時、丹生島城（臼杵城）に篭城していました。当然この城も島津軍が包囲します。臼杵城から役300m程離れた場所にある敵陣に向けて、宗麟公が選んだ戦法は当時の常識を遥かに覆し、新時代の幕開けを予感させるものでした。全長2.8㎝、口径9.7㎝と言われる大砲が日本の戦場で始めて火を噴いた瞬間です。</p>
<p>遡る事11年ほど、ポルトガルから贈られてきたこの大砲を、その大地を揺れ動かすほどの威力から宗麟公は『<span style="color: #0000ff;"><strong>国崩し</strong></span>』と名付けていました。戦に明け暮れた有名武将の多い戦国時代の中で、宗麟公が最前線で指揮を振るったという記録は、実は驚くほど少ないのです。この国崩しを使った丹生島城包囲戦は、実に稀な宗麟指揮の戦だったと考えられています。</p>
<p>翌年、仙石秀久の醜態に怒った秀吉はついに自ら兵を上げ、九州征伐に乗り出しました。戦局は一気に変わり、島津勢は豊後から撤退。こんな状況の中、宗麟公は病に倒れます。秀吉は息子の義統に豊後を治めさせ、宗麟公に隠居の地として日向を与えようとしましたが、自身がこれを辞退し、島津軍によって崩壊となった臼杵を後にして、津久見へと移ります。</p>
<p>天正15 年5月6日（1587年6 月11日）、波乱に富んだ人生が幕を閉じました。享年58歳。奇しくも薩摩へと追い込まれた島津軍が豊臣軍に降伏をする直前だったといわれています。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<h2>エピローグ　権力者と大友家</h2>
<p><br class="spacer_" /></p>
<div class="mceTemp">
<dl id="attachment_677" class="wp-caption alignright" style="width: 260px;">
<dt class="wp-caption-dt"><img src="http://active-oita.net/wp-content/uploads/2010/05/usukijyo.jpg" alt="臼杵市　丹生島城" title="臼杵市　丹生島城" width="250" height="164" class="size-full wp-image-677" /></dt>
</dl>
</div>
<p>豊臣秀吉から改めて豊後一国を任された第二十二代当主・大友義統は、当初秀吉から信頼されていました。その証拠に上洛した際、なんと羽柴・豊臣の姓を使用する事を許された他、秀吉から「吉」の1字を与えられて吉統と改名までしています。また父同様キリスト教の洗礼を受けていた義統ですが、幕府のバテレン追放令にならい、キリスト教を棄教します。そんな彼に試練が訪れたのは文禄2 年（1593 年）、明の大軍に包囲された<strong>小西行長</strong>から救援要請を受けたのです。</p>
<p>敵は文化も戦い方も違う異国の者。また小西戦死という誤報まで伝わり、義統は救援を諦め、戦場を放棄しました。秀吉はこれに激怒して、義統に改易という厳しい処分を下します。つまり豊後の国主としての地位を剥奪されたのです。その後、一度は罪が許され、大分に戻ってくるものの、石垣原の戦いで名将・<strong>黒田如水</strong>率いる軍に大敗し、再び幽閉の身となりました。</p>
<p>天下分け目の戦と呼ばれた関が原の戦いでは、大友義統は息子の義乗を徳川秀忠に仕えさせながら、なぜか自らは西軍に与するという失態を犯し、お家再興の絶交の機会を潰してしまいます。しかし、合戦後、流刑の身となった義統は最後の最後に大きな仕事をやってのけました。流刑の地で大友氏を後世に伝えるべく『大友家文書録』をまとめたのです。衰退した家柄であるにもかかわらず、大友家の記録が多く残されているのは、実は彼の功績なのです。</p>
<p>義統の子の義乗が第二十三代当主となりましたが、歴史の表舞台としては義乗が最後の当主と言っても良いでしょう。以降の大友氏は大分と離れていきます。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>いかがですか？</p>
<p>大友宗麟、そして当時の大分県がどう彼に絡んでいたか、理解できましたでしょうか？</p>
<p>こうしてみると、何百年も前の戦国時代の大分県に、大友宗麟が実際に暮らし、九州制圧を狙ってこの地で様々な戦略を巡らしている事が分かります。いつも通っているあの道や、自分が暮らしているあの地域の名前が出るだけで、やけにリアルに感じますよね。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>さて、大分活性化宣言！では、さらに大友宗麟をリアルに感じてもらうために、彼を徹底的に追っていこうと思います。</p>
<p>その為に我々が一年ぶりに取り組む新企画は・・・</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><img src="http://active-oita.net/wp-content/uploads/2010/05/ohp1.jpg" alt="ohp1" title="ohp1" width="350" height="120" class="aligncenter size-full wp-image-673" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>リアルな大友宗麟の姿を追い、深く深く宗麟公を追及していこうと思います。</p>
<p>最終的には、大友宗麟を全国・全世界に紹介する大規模なウェブサイトを構築し、</p>
<p>夢は大きく、大河ドラマ誘致を目標としましょう！</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p>今後の大分活性化宣言！の研究・取材報告をお楽しみに♪</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
]]></content:encoded>
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		<title>本物の和牛を昼間っから贅沢に！　神楽亭</title>
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		<pubDate>Sun, 09 May 2010 23:45:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ケンジ</dc:creator>
				<category><![CDATA[ランチ＆ディナー]]></category>
		<category><![CDATA[大分のグルメ]]></category>
		<category><![CDATA[清川町]]></category>
		<category><![CDATA[神楽亭]]></category>
		<category><![CDATA[豊後大野市]]></category>
		<category><![CDATA[道の駅きよかわ]]></category>

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		<description><![CDATA[道の駅きよかわの店舗は全店舗制覇するのか？という勢いで紹介してきましたが、今日はついに核心に迫る人気焼肉店の登場です。
『神楽亭』
「黒和牛一筋」というサブタイトルは伊達じゃありません。
何が本物なのか？あなたの舌で確か [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>道の駅きよかわの店舗は全店舗制覇するのか？という勢いで紹介してきましたが、今日はついに核心に迫る人気焼肉店の登場です。</p>
<p><b><span style="font-size:large"><span style="color:#0000ff">『神楽亭』</span></span></b></p>
<p>「黒和牛一筋」というサブタイトルは伊達じゃありません。<br />
何が本物なのか？あなたの舌で確かめてください☆</p>
<div style="text-align:center"><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1140334.jpg"alt="" /></div>
<p><img src="/usr/activeooita/P1140347.jpg" align="left" alt="" />「豊後黒和牛レストラン」と書かれた暖簾が目立つ神楽亭。店内は座敷席とテーブル席。<br />
お約束となりつつある「大分県民は焼肉好き」という常識が嘘ではないかのように、<strong>神楽亭</strong>も道の駅きよかわ内では人気の施設であると聞きました。<br />
店内は木造中心の温かみのある造り。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1140318.jpg" align="left" alt="" />実はこれ、大分県産の大杉。見事な木目調は自然の偉大さすら感じさせてくれます。<br />
テーブル席に座敷席。私は座敷席で社長にご挨拶。黒和牛についてのお話を聞いていると、社長は突然立ち上がり、<br />
「まずは食べてみて。美味しくなければ記事にしなくても良いから」<br />
とおもむろに調理室へ。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1140320.jpg" align="left" alt="" />そして運ばれてきたのはこちら。<br />
お昼の定番サービスメニュー<strong>豊後牛焼き肉定食</strong>（1,200円）。<br />
黒毛和牛カルビ・ホルモン・ハツ・ミノ・センマイのセットに、ご飯・サラダ・キムチ・スープといったサイドメニューが付いた超お得な一品。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1140323.jpg" align="left" alt="" /><span style="color:#0000ff">「焼肉なんてどこで食べてもそんなに違いはないだろ？」</span>って方。そんなあなたに是非食べてもらい、<strong>神楽亭</strong>の商品。<br />
とにかく、これで違いが分からなければ、何を食べても分からないはずです。<br />
最も敏感に感じたのは。やはり人気だというホルモン。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1140330.jpg" align="left" alt="" /><span style="color:#ff0000">盛られた商品では多めに見えますが、実はこのホルモン２キレ。つまり1キレの大きさが半端ではないのです。<br />
大きいホルモンというと「食べづらいだろ？」と感じるかもしれませんが、そこがホルモンの質の違い。口の中に入れると、溶けるように小さくなります。そして残るのは歯応えを楽しむあの部分のみ。まさに最高級のホルモン♪</span><br clear="all"></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1140334.jpg" align="left" alt="" />また万人受けするであろうカルビも絶品。<br />
厚さを見れば、こちらは旨さが想像できるでしょう。<br />
他の店では上カルビとして出てきそうな商品が、<strong>神楽亭</strong>ではセットで昼間から食べれます。<br />
これ以上の贅沢なランチはありませんよね。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1140329.jpg" align="left" alt="" />そして何より驚いたのは、焼き肉屋の命とも言うべきこちらのタレ。<br />
甘いタレが主流の店が多い中、神楽亭のタレは自信を持った辛めのタレ。<br />
ピリッと主張してくるタレが、何より強いアクセントとなって焼き肉を盛上げてくれました。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1140326.jpg" align="left" alt="" /><span style="color:#0000ff">「そもそも和牛とPRしている店は多いけど、本当の和牛は牛そのものを仕入れないと駄目」</span><br />
社長はそう言って、他の店との違いを教えてくれました。<br />
<strong>神楽亭</strong>の社長は元々肉屋として、牛を一頭単位で仕入れ、裁いて販売していたそうです。その流れで、今でも牛自体を仕入れ、自らさばいて商品としているとか。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1140344.jpg" align="left" alt="" />またこだわりも忘れません。<br />
地産地消には特にこだわり、牛は信用の出来る九州のものを。野菜は地元中心に。<br />
こういったこだわりこそが地元で愛される理由なのでしょう。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1140351.jpg" align="left" alt="" />実は現在飲酒運転の問題もあり、神楽亭は昼間しか営業していません。<br />
僅かな時間ですが、全力で最高の黒毛和牛をプロデュースしてくれる<strong>神楽亭</strong>の焼き肉。<br />
本物の黒毛和牛を食べに一度行ってみて下さい！<br clear=all></p>
<p><i><strong>神楽亭</strong><br />
清川町砂田1567-1（道の駅　きよかわ内）<br />
tel 0974-35-2903<br />
営業時間　平日10:00～15:00<br />
　　　　　土・日曜日10:00～18:00<br />
定休日　不定</i></p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>玖珠町の象徴　二段メサとミヤマキリシマ　万年山</title>
		<link>http://active-oita.net/archives/667</link>
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		<pubDate>Sat, 08 May 2010 23:43:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ケンジ</dc:creator>
				<category><![CDATA[チャレンジ企画]]></category>
		<category><![CDATA[大分の観光地]]></category>
		<category><![CDATA[ミヤマキリシマ]]></category>
		<category><![CDATA[万年山]]></category>
		<category><![CDATA[玖珠町]]></category>

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		<description><![CDATA[気合い十分！一合目！
登山経験０同士のスタッフと二人。
最初にどこに行くべきか？悩みに悩み、一つの山に辿り着きました。
『万年山』（はねやま）
玖珠町を代表する山で、ミヤマキリシマの群生地としても名高い万年山。一ヶ所目の [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>気合い十分！一合目！</strong></p>
<p>登山経験０同士のスタッフと二人。<br />
最初にどこに行くべきか？悩みに悩み、一つの山に辿り着きました。</p>
<p><strong><span style="font-size:150%;line-height:150%;"><span style="color:#006666">『万年山』</span></span></strong>（はねやま）</p>
<p>玖珠町を代表する山で、ミヤマキリシマの群生地としても名高い<strong>万年山</strong>。一ヶ所目の制覇山として、不足のない山じゃありませんか！カメラと水を持ち、いざ出陣！！</p>
<p><center><img src="http://www.junglekouen.com/usr/active/P1270389.JPG"  alt="" ><br clear="all"></center><br clear="all"></p>
<p><strong>万年山</strong>は大分自動車道玖珠ICから、R210へ出て真っ直ぐ抜けたあたりにあります。<br />
盆地状態の玖珠町の中には、<strong>万年山</strong>と伐株山という二つの山がぽっこりと顔を出している様な特徴的な構造。<br />
まさに玖珠町を象徴する山であると言っても良いでしょうし、実は非常に珍しい山でもあるのです。</p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/photo/P1270357.JPG" align="left" alt="" >登山コースは、単純かつ明快。<br />
まずは伐株山を回り込むように、<strong>万年山</strong>温泉美人湯の辺りを抜けながら、ずっと上まで車で行けるようになっています。<br />
その間約30分。辿り着いたのは<strong>万年山</strong>牧場。この時点で標高は950m。ここから先も舗装されている様ですが、自動車の侵入はここまで。<br clear="all"></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/photo/P1270358.JPG" align="left" alt="" >険しい山道を想像していた、初心者二人は舗装された綺麗な道を見て、「なんだ、こんなものか…」とナメまくりｗ<br />
ところが五分とぜずに、その淡い甘えは砕かれます。<br />
入口から約10分程度の坂道はかなりの傾斜で、いきなり足に来ちゃうんです。<br clear="all"></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/photo/P1270370.JPG" align="left" alt="" >傾斜が一段落すると、開かれた平地の様な格好が目の前に開かれ、その光景はさながら大草原の一本道状態。<br />
この日は天気も良かったので、もう最高のロケーション。<br />
右手には玖珠町が一望でき、左手には九重の山々が霞みながらも見て取れます。<br clear="all"></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/photo/P1270362.JPG" align="left" alt="" ><span style="color:#0000ff"><strong>万年山</strong>の最大の特徴は、この平地の様な形そのもの。<br />
この様な造りはメサ（卓状台地）と呼ばれ、特にこの<strong>万年山</strong>は「下万年」と「上万年」に分かれる珍しい2段メサで、「玖珠二重メサ」として日本の地質百選にも選定されているのです。</span><br />
今歩いているのは下段のメサ。左手前に山頂でもある上段のメサが見えています。<br clear="all"><br />
<img src="http://www.junglekouen.com/usr/photo/P1270360.JPG" alt="" ><img src="http://www.junglekouen.com/usr/photo/P1270364.JPG"  alt="" ></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/photo/P1270423.JPG" align="left" alt="" >出発して30分弱。右手に一際目立つ真っ赤なスポットが見えてきました。<br />
<span style="color:#0000ff">これが<strong>万年山</strong>の特徴の1つ、<strong>ミヤマキリシマ</strong>の群生地。</span><br />
砂漠のオアシス状態で広がる、ピンク色の大地。虫たちも大喜びで飛び回り、登山客もワイワイ言いながらこの時期にしか見ることが出来ない花に癒されていました。<br clear="all"><br />
<img src="http://www.junglekouen.com/usr/photo/P1270411.JPG"  alt="" ><img src="http://www.junglekouen.com/usr/photo/P1270416.JPG"  alt="" ></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/photo/P1270373.JPG" align="left" alt="" >山頂までの道のりはここからが本番。<br />
ちょっとした休憩所を挟んで、この先から急斜面の階段をかなりの段数登っていくことになります。<br />
運動不足の方なら、何度も休憩を挟む必要がありそうな程の道のり。人生も山登りも辛い時間があるんですよね。<br clear="all"></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/photo/P1270378.JPG" align="left" alt="" ><span style="color:#ff0000">そして…標高1,140.2m。ここが万年山の山頂です。<br />
360度見渡せる、玖珠町の最高峰。<br />
玖珠盆地はもちろん、九重町や天ケ瀬町まで見渡せ、反対側には九重連山に見守られている形。<br />
良く見れば、鏡山山頂のあの風力発電機群まで見ることが出来、その景観は絵になりそうなほど。<br />
到達時間は、片道40～50分程度。初心者向きの登山コースなのだと思いますが、山頂に到達した際の達成感は、特筆すべきものがありました。<br />
山登り、最高！！</span><br clear="all"><br />
<img src="http://www.junglekouen.com/usr/photo/P1270386.JPG"  alt="" ><img src="http://www.junglekouen.com/usr/photo/P1270376.JPG"  alt="" ></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/photo/P1270424.JPG" align="left" alt="" >自然が造り出した最高の景観。それを見るために登り、登った時に訪れる最高の達成感。<br />
人生で初めて山頂到達の達成感を味あわせてくれた玖珠町の象徴・<strong>万年山</strong>。<br />
<strong>ミヤマキリシマ</strong>の見頃はもう数日なんだと思いますが、伐株山から飛び立つパラグライダーなどを見下ろすのも興味深いですよね！！<br clear="all"></p>
<p><strong>万年山</strong><br />
玖珠町<br />
標高　1,140.2m。<br />
難易度　★★☆☆☆</p>
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	</item>
		<item>
		<title>家族で楽しめる金なべ亭のカレー</title>
		<link>http://active-oita.net/archives/665</link>
		<comments>http://active-oita.net/archives/665#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 07 May 2010 23:36:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ケンジ</dc:creator>
				<category><![CDATA[大分のカレー]]></category>
		<category><![CDATA[大分のグルメ]]></category>
		<category><![CDATA[カツカレー]]></category>
		<category><![CDATA[カレー]]></category>
		<category><![CDATA[大分市]]></category>
		<category><![CDATA[金なべ亭]]></category>

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		<description><![CDATA[43杯目、あの人気洋食店へ
人気洋食店にとって、カレーは欠かせない人気メニューです。
 裏を返せば、カレーが美味しいことこそ、人気が出るための絶対条件なのかもしれません。
 大分市のグルメ界を長い間リードして、このお店で [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>43杯目、あの人気洋食店へ</strong></p>
<p>人気洋食店にとって、カレーは欠かせない人気メニューです。<br />
 裏を返せば、カレーが美味しいことこそ、人気が出るための絶対条件なのかもしれません。<br />
 大分市のグルメ界を長い間リードして、このお店でもその法則はやはり成り立ちます。</p>
<p><strong><span style="font-size:150%;line-height:150%;"><span style="color:#ff00ff">金なべ亭</span></span></strong></p>
<p>多くの市民に愛されてきた看板メニューの数々は、大分活性化宣言！でも過去に取り上げてきました。<br />
 参照記事：<a href="http://active-oita.net/archives/437" target="_blank">大分市　大人気洋食店へ！　金なべ亭</a></p>
<p>今日はそんな『金なべ亭』のカレーを紹介しましょう。<br />
 チキン南蛮やとんんかつといった人気商品と肩を並べる看板商品の一つのカレー。<br />
 人気洋食店はどんなカレーを提供してくれるのでしょうか？</p>
<div style="text-align:center"><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1140431.jpg" alt="" /></div>
<div style="text-align:center"></div>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1140438.jpg" alt="" align="left" />大分市の皆様にとって、<strong>金なべ亭</strong>の場所の説明はいまさら必要ないでしょう。それだけ有名なお店です。県外の方・市外の方のために一応最下部に地図を付けておきます。<br />
 駐車場はお店の階下の他、裏手にもございますので、混雑時にもある程度の余裕はありそうです。<br />
 また、この金なべ亭に限らず、人気のある洋食屋というのは、訪問する時間帯に非常に悩みます。<br />
 今回は平日の昼間にお邪魔しましたが、それでもランチ時間は多いだろうと予測し、開店間もない時間を狙いました。それでも先客が３組（汗）しかも私が行った時間に清算しているお客さんまで…。<br />
 「早っ！」と突っ込む気持ちを押さえ、<a href="http://active-oita.net/archives/437" target="_blank">前回記事</a>の時に座った場所とは違う、窓際の奥へ向かいます。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1140420.jpg" alt="" align="left" />特にランチ時間に人気だという<strong>金なべ</strong>亭のカレーメニュー。<br />
 メニュー表には6～7程のカレーの種類が並んでいました。もちろんその名前は洋食屋らしく、お馴染みのカレーの種類ばかり。<br />
 「これはどんなカレーなんだろ？」なんて悩むことはないと思われますので、気軽に頼めることも素晴らしいですよね。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1140431.jpg" alt="" align="left" />そして私が注文したのはこちらのカレー。定番の<span style="color:#0000ff">かつカレー</span>（850円）。<br />
 「かつ」が平仮名なのが、何となく金なべ亭っぽいな、と感じてしまいます。<br />
 見た目からして、絵に描いたような「日本の家庭のカレー」という感じ。<br />
 独特の刺激臭を漂わせながら、目の前に運ばれてきました。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1140433.jpg" alt="" align="left" />深さを感じさせてくれるドロドロ系のカレーは運ばれてきてすぐに辺りに独特の香りを運び、食べる前からワクワクさせてくれ、<strong>金なべ亭</strong>のオリジナリティを感じさせます。<br />
 他の商品同様、相変わらずの量の多さなのですが、決してしつこく感じないのは、意外とあっさり感のあるカレーの味のお陰なのでしょう。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1140435.jpg" alt="" align="left" />もちろん煮込み具合はさすが！と唸らせる深さ。これは食べてすぐに伝わる奥深さでも分かります。<br />
 かつも美味しいのだと思いますが、カレーの印象が強すぎて、「あれ？カツ食べたっけ？」なんて思ってしまう程。濃厚で奥深いのに、どことなくあっさりでマイルドな味。そんな不思議な印象のカレーです。<br />
 何よりどことなく懐かしささえ感じる家庭流のカレーが、心地良ささえ覚えてしまう程でした。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1140424.jpg" alt="" align="left" />これならお子様も喜んで食べれるんだろうなぁ、と思っていたら、メニュー表に<span style="color:#0000ff">ミニカレー</span>（500円）という商品を発見。という訳で、これを追加注文してみました。<br />
 運ばれてきたのは、先ほどのカレーの三分の一～半分位の大きさ。色などは全く変わりませんが、カレーを横断するように盛られたウインナーが目を惹きます。<br />
 明らかにお子様向けのカレーといった印象。さすがは家族連れの多い洋食屋のカレー！</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1140427.jpg" alt="" align="left" />しかも子供向けと言えども、味は最初のカレーと同じで、ルー自体に濃い深みを感じることができます。<br />
 ここでも、辛すぎずマイルドで深い味が際立ち、カレー好きな子供を大満足させてくれることでしょう。<br />
 子供に食べさせるのは勿体無いほど贅沢な味のカレーに唸ることになりました。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1140439.jpg" alt="" align="left" />カレー一つ取っても、味から種類まで、多くの年齢層に対応させた<strong>金なべ亭</strong>の徹底ぶりが垣間見えましたか？<br />
 「カレー嫌いな子供はいない」と言われて久しい日本のカレー文化。<br />
 家族サービスに金なべ亭のカレーを利用すれば、ハズレなしで喜ばれるはずです♪<br />
 行く度に「今日は何を食べようか？」と悩んでしまいますよね。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><strong>金なべ亭</strong><br />
 大分市山津町2丁目5-18<br />
 TEL　097-551-5143<br />
 営業時間　11：00～22：00<br />
 定休日　第一・三火曜日</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>自己流らーめんの原点へ　さんこう軒</title>
		<link>http://active-oita.net/archives/666</link>
		<comments>http://active-oita.net/archives/666#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 06 May 2010 23:40:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ケンジ</dc:creator>
				<category><![CDATA[大分のグルメ]]></category>
		<category><![CDATA[大分のラーメン]]></category>
		<category><![CDATA[さんこう軒]]></category>
		<category><![CDATA[ラーメン]]></category>
		<category><![CDATA[大分市]]></category>

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		<description><![CDATA[※この記事は2007年に書かれたものです。
大分県のラーメン業界の中でも、独特の味で常に業界をリードしている店舗が何店舗かあります。
【自己流らーめん】という名前で知られる、「さんこう軒グループ」もその一つと言って良いで [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color:#ff0000">※この記事は2007年に書かれたものです。</span></p>
<p>大分県のラーメン業界の中でも、独特の味で常に業界をリードしている店舗が何店舗かあります。<br />
【自己流らーめん】という名前で知られる、「さんこう軒グループ」もその一つと言って良いでしょう。</p>
<p>そのさんこう軒グループの発端として、今なお大分市民に愛され続ける老舗店が光吉にあります。</p>
<p><span style="font-size:large"><span style="color:#ff6600">『<strong>さんこう軒</strong>』</span></span></p>
<p>自己流ラーメンの原点を求めて、さんこう軒に行って来ました☆</p>
<div style="text-align:center"><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1160498.jpg" alt="" /></div>
<p><span style="color:#ff0000">※この記事は2007年に書かれたものです。</span></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1160503.jpg" align="left" width="200" alt="" />光吉の住宅街に登るその道すがらにさんこう軒はあります。<br />
静かなところなのですが、ご存知の通り交通量はかなり多め。夕方に行こうものなら、それなりの渋滞の覚悟が必要ですw<br />
あの独特のロゴがかなり目立ちますが、外観も店内もいたってシンプルに良くある老舗ラーメン店の雰囲気。<br />
夕飯の時間から少し外しましたので、お客様は一人いただけでしたが、店内はカレーの素晴らしい匂いが漂っていました(笑)<br />
「え？カレー？」と思いますよねw<br />
さんこう軒は実はラーメン以外の定食系もかなりの人気らしく、特に店員さんはこのカレーが一番人気なんだと言われてました。<br />
これは大分活性化宣言！的に聞き捨てならないお言葉。いつかこれも試してみなければなりません！<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1160486.jpg"align="left"  width="200" alt="" />さて、今回注文したのは、当然オーソドックスに、<b>ラーメン</b>（500円）。個人的に夕飯だったので、定食のセットに（+200円）にしてみました。<br />
餃子と白ご飯がついてこのお値段なら、高いとは感じません。、むしろ今時ワンコインで食べられるラーメンを褒めてあげるべきなのかもしれませんね。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1160489.jpg" align="left" width="200" alt="" />塩っ気は感じましたが、予想したよりも全然甘くてあっさり風味。むしろミルキーにも感じるスープは印象に残ります。<br />
当然<a href="http://active.junglekouen.com/e96376.html" target="_blank">3年5組</a>で食べた、あの独特の背脂のこってり味を予想していただけに、少し戸惑いましたが、とんこつラーメンの王道を行く、しっかりした味わい深さ。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1160493.jpg" align="left" width="200" alt="" />麺は微妙に極細までいかない程度の細さ。食べ応えもあります。<br />
もちろんスープまでストレスを感じることなく、最後まで一気に食べる事ができました。<br />
白ご飯と餃子の影響もあり、完食する頃には、とてつもない満足感が待っていました。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1160495.jpg" align="left" width="200" alt="" />もう一品は<b>コーンバターラーメン</b>（650円）。<br />
とんこつに最高のハーモニーを見せてくれるバターもトッピングの王道ですよね。<br />
まろやかスープのラーメンが、さらに口当たりの優しい姿に変わっててくれました。<br />
食べやすいし、女性にもお勧めの一品です。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1160478.jpg" align="left" width="200" alt="" /><span style="color:#ff0000">豚の背脂を使った、こってりアイデアラーメンで、若者を中心に大人気のさんこうグループ。<br />
その原点とも言うべき、光吉のさんこう軒で食べたのは、その背脂などもまったく出てこない、基本中の基本のとんこつラーメンでした。<br />
全ての味、人気の原点は、常に基本がしっかりしているという事なのでしょうね。</span><br clear=all></p>
<p><span style="color:#ff0000">※この記事は2007年に書かれたものです。</span></p>
<p><strong>さんこう軒</strong><br />
大分市大字光吉1165-3<br />
tel　097-569-2205<br />
営業時間　11：30～9：00</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>伝説の湯は歴史ある市営温泉　永石温泉</title>
		<link>http://active-oita.net/archives/664</link>
		<comments>http://active-oita.net/archives/664#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 19 Mar 2010 00:01:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ケンジ</dc:creator>
				<category><![CDATA[別府八湯温泉道企画]]></category>
		<category><![CDATA[大分の温泉]]></category>
		<category><![CDATA[別府温泉]]></category>
		<category><![CDATA[永石温泉]]></category>
		<category><![CDATA[温泉]]></category>

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		<description><![CDATA[二段認定！16湯目！！
今回でようやく16湯目。8湯ごとに段位が上がっていく温泉道では、節目の入浴になります。せっかくの節目の湯ですから、やはりそれなりの湯に入っておきたいところ。
 という訳で、今日は別府温泉でも名湯と [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>二段認定！16湯目！！</strong></p>
<p>今回でようやく16湯目。8湯ごとに段位が上がっていく温泉道では、節目の入浴になります。せっかくの節目の湯ですから、やはりそれなりの湯に入っておきたいところ。<br />
 という訳で、今日は別府温泉でも名湯と名高い市営温泉</p>
<p><span style="font-size:150%;line-height:150%;"><span style="color:#ff3366">『<strong>永石温泉</strong>』</span></span></p>
<p>に入ってきました！<br />
 逸話に包まれた、小さな竹瓦温泉。久々にお邪魔した市営温泉の独特の風情の中で、別府温泉の日本一の所以を肌で感じてきました！！</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter" src="http://www.junglekouen.com/usr/active5/P1320082.jpg" alt="" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/active5/P1320089.jpg" alt="" align="left" />永石温泉は、別府駅の東側、秋葉通りよりさらに大分市寄りの永石通りにあります。<br />
 突如通り沿いに現れる純和風の風情のある佇まい。見た目かなり新しい温泉に見えますが、それもそのはず。永石温泉は平成3年に建て替えられたばかりでした。<br />
 建物の脇には、小さな休憩所・ポケットパークが設けられ、中国烟台市の石で作られたというベンチなどで、さらにムードを盛り上げているのが分かります。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/active5/P1320088.jpg" alt="" align="left" />中に入ると、いきなり目の前に番台。施設自体はそう大きくないのがすぐに分かります。<br />
 外に休憩所が作られているのは、そういう理由もあるのでしょう。<br />
 番台を挟むように、男湯と女湯。100円を支払い、さっそく入湯準備♪<br />
 壁にはかなり古い写真も…。やはり建物自体は新しいけど、この市営温泉の歴史の深さが感じ取れます。これは期待出来そう♪</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/active5/P1320079.jpg" alt="" align="left" />男湯に入ると、小じんまりした雰囲気のある浴室が待っていました。<br />
 別府の古い温泉に良くある、脱衣所から一段低い浴槽。しかし永石温泉の場合、一段どころか三段か四段は低い印象。それだけかなり低い位置に浴槽があります。<br />
 天井は竹瓦温泉を思い起こさせる高さと造り。これによって狭さが窮屈に感じません。<br />
 素朴な湯船は長方形型。湯自体には特別変わったところは見られません。</p>
<p>明治27年別府警察署はこの永石温泉の近隣に設けられ、以後長い間別府の治安維持の中心になっていたました。<br />
 昭和４年、国道筋に新築され移転されることになり、その跡地利用にあたり、地元有志が寄金を集め、買い取った土地で温泉を掘ったところ良質の温泉が出たそうです。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/active5/P1320074.jpg" alt="" align="left" />せっかくの良質の温泉ですから有効活用を…と、その利用法について思案していたところ、ある朝一晩のうちに小さいながらも木造の温泉場が出来上がっていたという逸話があり、そこから永石温泉は「一夜温泉」と呼ばれるようになったのです。<br />
 確かに番台のある玄関ホールの昭和7年の古い写真には、「一夜温泉初浴式」と書かれており、当時の地元の皆様の喜びようも伝わってくるようです。</p>
<p>またさらにこんな伝説もありました。<br />
 あの弘法大師が西国巡錫の旅で別府に訪れた際、ちょうど別府は日照り続きで悩まされていたそうです。<br />
 弘法大師は、そんな町の人達に一杯の飲み水を所望したところ、一人の老婆が水を恵んでくれます。<br />
 その老婆に感謝し、ふいに空に石を投げた弘法大師。すると、落ちた場所より湯水が湧き出したと言います。<br />
 そこからここは「投石の湯」とよばれ、後に「永石の湯」となったとという逸話です。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/active5/P1320078.jpg" alt="" align="left" />湯の方はもちろん上質。別府温泉独特の重厚感も感じますし、何より期待を外さず、熱いｗとにかく熱いｗ<br />
 まぁそれが別府温泉の特徴ですから、何も言わずに地元の方と一緒にじっと浸かっていました。<br />
 高い天井を眺めながら、伝説の湯に想いを馳せ、感慨深く名湯を満喫します。</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><span style="color:#000000">永石温泉<br />
 別府市南町2-2<br />
 TEL　0977-26-5789<br />
 【入浴料金】100円<br />
 【営業時間】6:30～22:30<br />
 【定休日】年末年始<br />
 【泉質】 ナトリウム・マグネシウム－炭酸水素塩・塩化物泉<br />
 【色・味・臭い】 無色・澄明・弱塩味・無臭<br />
 【源泉温度】50℃<br />
 【効能】神経痛・筋肉痛・関節痛・慢性消化器病･痔疾・冷え症・疲労回復など</span></p>
<p><span style="color:#000000"><br />
 </span></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/active5/P1320072.jpg" alt="" align="left" />年間9万人とも言われる利用者が訪れる市営温泉・永石温泉。<br />
 「小さな竹瓦温泉」という別名どおり、高い天井に雰囲気のある浴室。それにぴったりの外観も風情がありました。<br />
 数々の逸話に包まれた歴史ある温泉で、産湯につかったという人は、数え切れないとも言われ、昭和の別府市民の歴史を支えてきた名湯とも言えるでしょう。<br />
 また一つ、県外の方にお薦めできる市営温泉を知ることが出来ました♪</p>
<p><br class="spacer_" /></p>
<p><br class="spacer_" /></p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>中華のランチでガッツリ！　第二清華園</title>
		<link>http://active-oita.net/archives/663</link>
		<comments>http://active-oita.net/archives/663#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 17 Mar 2010 23:51:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ケンジ</dc:creator>
				<category><![CDATA[ランチ＆ディナー]]></category>
		<category><![CDATA[大分のグルメ]]></category>
		<category><![CDATA[中華]]></category>
		<category><![CDATA[別府市]]></category>
		<category><![CDATA[第二清華園]]></category>
		<category><![CDATA[酢豚]]></category>

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		<description><![CDATA[安くて美味しいランチの情報というのは、人それぞれに色んな情報を持たれている様です。お徳で美味しい、そんな情報を耳にしたら、自慢の好奇心に火が点く大分活性化宣言！。
今回お邪魔したのは、別府市にある老舗・中華料理店
『第二 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>安くて美味しいランチの情報というのは、人それぞれに色んな情報を持たれている様です。お徳で美味しい、そんな情報を耳にしたら、自慢の好奇心に火が点く大分活性化宣言！。<br />
今回お邪魔したのは、別府市にある老舗・中華料理店</p>
<p><strong><span style="font-size:150%;line-height:150%;"><span style="color:#cc3399">『第二清華園』</span></span></strong></p>
<p>普通っぽい中華料理屋さんで食べた、普通じゃない味の、お得なランチ。中華好きな方も、お徳情報を求めている方にも、お薦めしたいお店です♪</p>
<p><center><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1200956.jpg"  alt="" ></center></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1200966.jpg" align="left" alt="" >別府の中華料理屋さんと言えば、最近ではとり天のルーツを探るべくお邪魔した<a href="http://active-oita.net/archives/512" target="_blank">レストラン東洋軒の記事</a>が思い出されます。<br />
ここ第二清華園も、東洋軒と肩を並べる、人気中華料理屋さんらしく、特にランチの定食類の充実ぶりには定評があるとお聞きしました。<br />
お店はいたってシンプルな中華料理店。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1200931.jpg" align="left" alt="" >テナントと住居が一体化したいわゆる雑居型の複合ビルの1Ｆにある店舗は、外観から店内まで至る所に中華色が溢れています。<br />
<span style="color:#ff0000">ランチの時間は月曜日から土曜日の11：30～14：30</span>という事を事前に調べていましたので、ランチ時間終了間際の14時ごろに来店。<br />
お陰で最後の一組のお客様が帰る頃、ゆっくりと食べさせてもらいました。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1200945.jpg" align="left" alt="" >人気のお得なランチメニューをお聞きし、迷わずに出された商品はこちら。<br />
その名も<strong>特得セットランチ</strong>（860円）。<br />
バラエティに富んだ商品と、かなり引き目に撮ったのに、写真に収まりきれない商品の量に注目。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1200940.jpg" align="left" alt="" >メインはパリパリのあんかけ焼きそば。<br />
これぞ中華の王道！といった感じの甘辛いあんは、匂いからして食欲を煽ります。<br />
名前どおりパリパリの麺は、食感も大満足。あんと良く合う最高の一品。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1200949.jpg" align="left" alt="" >さらに本場・別府のとり天が三つに、ザーサイとスープがついた贅沢なランチ。<br />
まるでコース料理を食べているような感覚で、思わず何から食べようか、迷い箸(笑)<br />
ジューシーなとり天も最高でしたよ♪<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1200942.jpg" align="left" alt="" >この特得セットは、店主の気まぐれで定期的にメニューが変わるのだそうで、メニュー表には今回のメニューは「第四弾」だと書かれていました。<br />
お昼のランチメニューから人気のメニューだけを選んで提供しているそうで、品数はもちろん味にも満足できる、外さない商品ですよね。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1200952.jpg" align="left" alt="" >他にも安価で豪勢な中華料理のランチがメニューに並んでいましたが、一番人気だという<strong>酢豚定食</strong>（690円）も食べてみました。<br />
こちらも写真に収まりきれないほどの器が目の前に並び、思わず声を出して笑いそうになりましたｗ<br />
気合十分で食べれそうな雰囲気。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1200955.jpg" align="left" alt="" >甘酸っぱい酢豚は、一噛みで口の中に広がる独特なタレが印象的。<br />
最初の一口で、中華通も唸らせる濃厚な味。<br />
心地良いほどの充実感が、大めの白ご飯を次から次に口に運ばせます。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1200956.jpg" align="left" alt="" >酢豚に限らず、第二清華園の豚商品は、すじと脂を取り除いた豚のもも肉の赤身だけを利用しているというこだわりにも注目。<br />
また全ての商品に言えるのですが、脂っこいはずの中華料理が不思議とあっさりに感じるこの感覚。実は利用している油や水に秘密があるのだそうです。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1200963.jpg" align="left" alt="" >常に身体に優しい料理を心掛けているという第二清華園のお得なランチメニューをご紹介しました。<br />
お昼からガッツリ行きたい人も、大勢でワイワイ食べたい人も満足できるはずです。<br />
中華はやっぱり、多くの器から悩みながら食べたいものですよね☆<br clear=all></p>
<p><strong>第二清華園<br />
別府市餅ケ浜町1-16<br />
TEL　0977-26-2708<br />
営業時間　11：30～14：30<br />
　　　　　17：00～22：00<br />
定休日　毎週水曜日</strong></p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>小川に癒され、ほっと一息　豊後高田市　出会いの里</title>
		<link>http://active-oita.net/archives/662</link>
		<comments>http://active-oita.net/archives/662#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 16 Mar 2010 23:50:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ケンジ</dc:creator>
				<category><![CDATA[大分の観光地]]></category>
		<category><![CDATA[出会いの里]]></category>
		<category><![CDATA[昭和の町]]></category>
		<category><![CDATA[豊後高田市]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://active-oita.net/archives/662</guid>
		<description><![CDATA[豊後高田市と言えば、何と言っても昭和の町。今や全国区となった、町興しのモデルタウンです。
そんな豊後高田市の昭和の町の中に、プチショッピングモールとも言うべき、長屋があるのをご存知ですか？
『出会いの里』
日頃の疲れなん [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>豊後高田市と言えば、何と言っても昭和の町。今や全国区となった、町興しのモデルタウンです。</p>
<p>そんな豊後高田市の昭和の町の中に、プチショッピングモールとも言うべき、長屋があるのをご存知ですか？</p>
<p><b><span style="font-size:large"><span style="color:#cc3333">『出会いの里』</span></span></b></p>
<p>日頃の疲れなんて吹っ飛んでしまいそうな落ち着ける雰囲気と、各店舗のユニークな商品に、時間を忘れて楽しむ事ができました！！</p>
<div style="text-align:center"><a href="http://active.junglekouen.com/usr/active/P1170677.jpg" target="_blank"><img src="http://active.junglekouen.com/usr/active/P1170677-s.jpg" width="150" alt="" /></a></div>
<p><a href="http://active.junglekouen.com/usr/photo/P1170678.jpg" target="_blank"><img src="http://active.junglekouen.com/usr/photo/P1170678-s.jpg" align="left" width="150" alt="" /></a>出会いの里は、観光客で賑わう昭和の町のメインストリートの一つ、新町商店街の中腹に位置します。<br />
夏休みも人が多かったですが、秋・冬にかけても、観光客は後を絶たないのでしょう。それだけ、昭和の町がメジャーな観光施設として根付いてきたという事ですね。<br clear=all></p>
<p><a href="http://active.junglekouen.com/usr/photo/P1170680.jpg" target="_blank"><img src="http://active.junglekouen.com/usr/photo/P1170680-s.jpg" align="left" width="150" alt="" /></a>まず目に付くのは、入り口に大きく構えるこちらの樽。<br />
「都会でふる里・・・大分麦焼酎　田舎もん」<br />
と書かれている説明文もあります。<br />
もちろん、田舎者という言葉の方言ですが、どうやらオリジナルの麦焼酎の様です。<br />
飲んだ事がある人、感想希望☆<br clear=all></p>
<p><a href="http://active.junglekouen.com/usr/photo/P1170676.jpg" target="_blank"><img src="http://active.junglekouen.com/usr/photo/P1170676-s.jpg" align="left" width="150" alt="" /></a><span style="color:#ff0000">出会いの里は、数寄屋造りの建物の中央に小川が流れ、両脇にギャラリーやお土産店などが入っている小さなショッピングモールの様な感じのスペースです。<br />
圧倒的に観光客を和ませてくれるのは、中央にある静かで小さな小川のせせらぎ。<br />
中には鯉などもいて、見ているだけで、どことなくホっとでき、時間を忘れられます。</span><br clear=all></p>
<p><a href="http://active.junglekouen.com/usr/photo/P1170661.jpg" target="_blank"><img src="http://active.junglekouen.com/usr/photo/P1170661-s.jpg" align="left" width="150" alt="" /></a>実際にどんなお店が入っているのか、それは是非皆さんの目で確かめてください♪<br />
今回は、私が個人的に目を惹かれた数店舗を覗いてみます。<br clear=all></p>
<p><a href="http://active.junglekouen.com/usr/photo/P1170663.jpg" target="_blank"><img src="http://active.junglekouen.com/usr/photo/P1170663-s.jpg" align="left" width="150" alt="" /></a>古布で作った手作りお品々が所狭しと並ぶ、「<b>ギャラリー和えもん</b>」。<br />
昔、おばあちゃんが良く手作りで作ってくれた、あんなものからこんなものまで、見るだけで懐かしい気持ちになれるスペースです。もちろん販売もされていました。<br />
昭和の町の真骨頂ですね♪<br clear=all></p>
<p><a href="http://active.junglekouen.com/usr/photo/P1170667.jpg" target="_blank"><img src="http://active.junglekouen.com/usr/photo/P1170667-s.jpg" width="150"align="left"  alt="" /></a>こちらは「<b>ふれあいの里　六勝園</b>」。<br />
見るも鮮やかな、石で作られた置物の数々。芸術性を感じる素晴らしい店舗です。<br />
お地蔵さんはもちろん、どこかで見覚えのあるカエルや、人気キャラ、サッカーボールに至るまで、<br />
「どうやって作るんだろ？」<br />
って思わず首を捻ってしまいそうです。<br clear=all></p>
<p><a href="http://active.junglekouen.com/usr/photo/P1170683.jpg" target="_blank"><img src="http://active.junglekouen.com/usr/photo/P1170683-s.jpg" align="left" width="150" alt="" /></a>「<b>喫茶去</b>」で見た、マニア心をくすぐる代物がこちら。<br />
パチンコがまだ手で弾く遊戯だった頃のパチンコ台！<br />
見た事がない若者達も多いでしょう。昔はこういうのが実際にパチンコ屋さんに並んでたんでしょうね。<br />
私の様な年代だと、こういうパチンコ台は、温泉街や小さなドライブインのゲームセンターなどで、見かけていましたが、見たのは本当に久しぶりでした。<br />
ちゃんとまだ遊べるところも凄いですｗ<br clear=all></p>
<p><a href="http://active.junglekouen.com/usr/photo/P1170670.jpg" target="_blank"><img src="http://active.junglekouen.com/usr/photo/P1170670-s.jpg" width="150" align="left" alt="" /></a>静かな小川の流れに思わず見とれながら、ギャラリーに飾られた懐かしさを感じる展示品に、それぞれの思いを馳せる…知らない観光客の方と、そんな思い出を語り合う事ができる、文字通りの「出会いの里」。<br />
実はこの中に思わず食べてしまった限定商品を販売しているカフェもあります。この話は、また近日中に別のエントリーで…。<br clear=all></p>
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		<title>伝統の味を家族で継ぐ　犬飼町　丸一製菓</title>
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		<pubDate>Wed, 10 Mar 2010 00:25:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ケンジ</dc:creator>
				<category><![CDATA[大分のグルメ]]></category>
		<category><![CDATA[大分の超B級グルメ]]></category>
		<category><![CDATA[丸一製菓]]></category>
		<category><![CDATA[和菓子]]></category>
		<category><![CDATA[犬飼町]]></category>
		<category><![CDATA[豊後大野市]]></category>

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		<description><![CDATA[犬飼町は「菓子の町」です。
もちろん私が決め付けましたｗ
前回紹介した仲町製菓の他にもいくつかの有名老舗菓子店が犬飼町にはあります。
今回はそんな中から、豊後大野市のまちの駅になっている
丸一製菓
を紹介します。
――明 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong>犬飼町は「菓子の町」です。</strong><br />
もちろん私が決め付けましたｗ</p>
<p>前回紹介した<a href="http://active-oita.net/archives/655" target="_blank">仲町製菓</a>の他にもいくつかの有名老舗菓子店が犬飼町にはあります。</p>
<p>今回はそんな中から、豊後大野市のまちの駅になっている</p>
<p><span style="font-size:large"><span style="color:#990000"><strong>丸一製菓</strong></span></span></p>
<p>を紹介します。<br />
――明治18年創業――<br />
これだけでも立派な歴史と謳い文句になりますが、<strong>丸一製菓</strong>さんの素晴らしさはそれだけではありません。<br />
<img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1110027.jpg" alt="" /></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1110013.jpg" align="left" alt="" />店構えからも深い歴史を感じる<strong>丸一製菓</strong>。<br />
店内に入ってさらに納得。<br />
そこには多くの賞状と、古い看板が飾られていました。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1110017.jpg" align="left" alt="" />「創業明治18年」とはっきり書かれています。<br />
「実はそれ以前にもやっていたみたいなんです。ただ会社として活動したのはこの看板にある通り明治の話。」（若奥様談）</p>
<p>古ければ良いという話でもありませんが、それだけ歴史があるということは長い間、消費者に愛され続けているということ。<br />
素晴らしいですよね♪<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1110026.jpg" align="left" alt="" />というわけで主力商品を拝見させてもらいました。<br />
こちらが「<strong>栗どら</strong>」（158円）</p>
<p>コクのある餡子の中に、さらに栗が丸々一個！<br />
美味しくないわけがないですよね。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1110027.jpg" align="left" alt="" />驚くのはこの周り。ドラ焼きの皮の部分。<br />
ふわふわした食感で、口に入れると中で溶けていくような感覚。<br />
これが餡子達と絶妙なバランスを見せてくれます。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1110029.jpg" align="left" alt="" />こちらは洋菓子の「<strong>フィナンシェ</strong>」（126円）</p>
<p>女性や子供に大人気だというカステラケーキの様な味。</p>
<p>こんな美味しいものがどうやって作られるのか？やっぱり気になりますよね？<br />
という訳で、今回も裏の工房の方を拝見させてもらいました。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1110034.jpg" align="left" alt="" />時に、ちょうど羊羹（ようかん）を製造し始めようとしていた頃。<br />
ご主人が奥にあった銅鍋に寒天を大量に入れていました。</p>
<p><strong>丸一製菓</strong>のこだわりは、何と言ってもこれらの素材。<br />
この寒天は丹波篠山産、小豆は北海道十勝産、京都産の宇治抹茶などなど…。<br />
とにかく妥協しない素材選びを昔からの伝統としているようです。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1110015.jpg" align="left" alt="" />「分かる人には分かるんです」（ご主人談）<br />
この言葉が非常に印象に残りました。</p>
<p>もちろん、店頭でこれらの商品を買うことができますが、<strong>丸一製菓</strong>は色んな場所で小売をしているようです。<br />
特に大分市内では、あの明野アクロスの一階。<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1110038.jpg" align="left" alt="" /><font color="#FF0000"><strong>丸一製菓</strong>は天然色素から生まれた色や味を大事にしています。<br />
その為、人口甘味料・合成保存料・合成着色料・合成殺菌料など、全ての添加物を一切使用していません。<br />
「だから、その場で作って販売できるスペースじゃないと販売できないんです。」</font></p>
<p>明野アクロスはそのスペースを用意してくれたようで、不定期にお店が出現します。</p>
<p>他にも大分駅やアムス大在、もちろん三重町のインダストリーにも出店するようなので、狙ってみてください♪<br clear=all></p>
<p><img src="http://www.junglekouen.com/usr/activeooita/P1110011.jpg" align="left" alt="" />長い時間を経ても変わらないこだわりの味。ご家族でそれを守り続ける丸一製菓。<br />
明治・大正の人々が舌鼓を打ったであろう商品を口にしてみると、また感慨深いものがあるでしょう。<br clear=all></p>
<p><strong>丸一製菓</strong><br />
豊後大野市犬飼町犬飼40<br />
tel 097-578-0110<br />
営業時間　5:00～18:30<br />
定休日　なし</p>
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