2010/02/01
大分美人.com case4 自分だけの言葉
※この記事は2009年の1月に書かれたものです。
2008年年末の12/29と30の二日間。
大分市と別府市、合計三ヶ所で妖しい歌声がホールに響きました。
『梨丘いるま』
(IRUMA RIOKA)
東京を中心に活動を続ける、大分出身のシンガーソングライター。独特の世界観を歌はもちろん、ビジュアルやステージで表現する若いアーティストです。
彼女が今、何を考え、何を伝えようとしているのか?大分活性化宣言!は素の彼女に迫ってみました。
12/30の森町ドリームステージ。
熱心な多くのファンが、朝早くから駆けつけ、50人定員のライブ会場は、メインのいるまさんの登場時には、80人近い観客が詰め寄せる大盛況ぶり。
会場は立ち見が溢れそうになるほどで、冬の寒さも吹き飛ばすほどの熱気で包まれました。
登場してきた彼女は、何と目隠し状態。
いつその眼隠しが取られるのか?固唾を飲んで見守るファンの気持ちを知ってか、そのまま一曲目がスタートして行くのです。
見えないはずの鍵盤を、軽快にかつ力強く叩いていくその姿に度肝を抜かれた方も少なくなかったでしょう。
梨丘いるまのライブは、こうした驚きからスタートしたのです。
アンコールを含めて、数時間のライブ。
満足げにライブ会場を後にする多くの観客は、汗を拭いながら出てきます。
それだけの熱気を含んだライブ、演奏していた彼女の方は、どれだけ暑かったんだろ?と思いましたが、ライブ後のインタビューでお会いした彼女は、普段通りの涼しそうな笑顔が印象的でもありました。
では、本物の梨丘いるまの世界を、ご覧いただきましょう。
■自分にない言葉は、絶対に使いません。
○音楽はいつから始めましたか?
三歳からピアノを始めました。
実際には物心が付いた時にはピアノを弾いていた、という感じです。
小学校一年生で作曲の勉強を始めて、そこから音楽にハマっっていきました。。
○親御さんの影響とかいう訳ではなくて?
もちろん両親がピアノを私に与えてくれたことから始まったと思います。
とくに無理やりという感じでもなかったので私も自然に音楽と付き合うことができました。
○その頃、どんな曲を作ってたんですか?
最初は「雪」とか「動物園」とか、テーマがあってそのイメージを曲にするような感じでした。
もちろん歌詞なんてなくて、メロディで表現していました。
○今のような本格的な歌詞付きの曲は、いつ頃から?
作曲家になりたくて音大に進んだのですが、その頃から「歌詞も書いてみたいな」と思い始めて、今のようなスタイルの曲を作るようになりました。
○音楽を仕事にしたい!と思い始めたのは?
小さい時から作曲家になりたいという夢は持ってましたので、そういう意味では音楽をやり始めた時からだと思います。
○実際に歌を歌う様になったのは?
他の人の勧めがあって、思い切って挑戦してみました。
人前で歌うことに対しての抵抗はなかったのですが、それまでは音楽を作るだけだったので歌は猛特訓しました。
最初は「下手だ」とか「曲はいいんだけど…」って言われていましたがあきらめずに歌っていたら徐々に歌唱力もついてきました。
○歌はもちろんですが、ファッションに至るまで独特の世界観があるように思えますが、これは意識して作られてるんですか?
自分に素直に曲を描いているので、素の自分を表現しているだけなんです。
例えば、詩を作る時も、難しい英単語とか自分から自然に出てこない言葉は絶対に使いません。
ただし、世界観を優先している曲もあるので…ケースバイケースです(笑)
そういう意味では、「独特の世界観」ではなく、「等身大のIRUMA」ということなんだと思います。
ファッションについては、世界観を表現できるように心がけています。
総合的に、視覚的にも楽しめるステージを作ろうと思っています。
■大分でも受け入れられるのか、不安はありました。
○大分県ではいつまで生活をされてましたか?
大学で大分を出ましたから、高校生までです。
○そんな故郷・大分に戻って来る時は、どんな気分ですか?
2008年も夏と年末の二度、地元・大分でツアーを組ませていただきました。
大分は大好きなので、帰ってくるのは本当に楽しみです。だけど、ツアーは大変です。荷物がありますから(笑)
不安も結構ありますけど。
○不安とは?
元々大分ではライブなどもやったことがないまま上京しましたので、こっちで受け入れられるのか?という不安はありました。
○やはりメジャーな曲でないと受け入れられないのでは?という不安ですね?
私自身、大分に居た頃、TVをあまり見ないタイプだったので(今もそうですが)、
流行りの曲を知る方法は、友達とカラオケに行った時くらいでした。
そんな中、流行の曲以外を知る手段など無かったし、
人と違う事をすれば白い目で見られるという恐怖が心のどこかにありました。
でも大分でもこのように温かく迎えられて、不安は拭い去られました。
○久しぶりに帰ってきて、懐かしいと感じた場所やビックリした場所はありますか?
高城駅のジャスコの近辺なんて、変わっててビックリしました(笑)
あと、鶴崎高校までの通学路は、いつ帰ってきても懐かしい思い出の道ですね。
○こっちに帰って来て、地元の友達と連絡を取り合ったりしましたか?
友達づきあいが苦手だったのでそんなに居ませんが来てくれた友達は全てのライブに顔をだしてくれたり
ツアーの準備まで手伝ってくれて、本当にありがたかったです。
<以下、ギタリスト・ねむさんの特別インタビュー>
■ライブ中も、彼女は普段通りですよ。
○彼女とのコンビはどれくらい続けているのですか?
まだ一年くらいなんです。
一枚目のアルバムでギターを二曲、アレンジも担当しました。
その前から知り合いだったのですが、正式にお手伝いするようになったのは、その頃からです。
最新のアルバムなどは、全ての曲でギターを担当しています。
○音楽の世界観は、彼女の世界と共通しているのですか?
そうですね。
僕自身は普通にロック好きな人間だったのですけど、それとは別にこういう世界観の曲を聴くのが大好きだったんです。
彼女と話をしていて、そういう世界観に共通点を見つけましたので、今では協力をさせてもらってます。
○客観的に彼女の曲は、どんな曲ですか?
たぶん他の人には作れない曲だと思います。
○東京のご出身だとお聞きしましたが、大分はいかがですか?
素晴らしいですね。今や、僕自身も故郷的なイメージがあります(笑)
夏に来たのが初めてで…そもそも九州自体初めて来たくらいです(笑)
○温泉は入りましたか?
まだなんですよ。
こちらではライブ漬けなので、ゆっくり観光的なものが出来てないんですよね(笑)
○梨丘いるまさんのプライベートな素顔を教えてください。
このままですよ(笑)全然変わりません。
MCでも作ってる感じはありませんので、割と普段通りですね。
■私も頑張ります!!
○今後、どういう活動をしていきたいですか?
(いるま)2009年はロシアツアーを予定しています。
これをきっかけに、音楽の幅を広げ、海外へ挑戦したいと思っています。
もちろん日本でも、活動を続けていきますが、他のアーティストの方に曲を提供したりしながら、新しい音楽のジャンルを確立したいなと思っています。
(ねむ)基本的にはやりたい事をやっていくのだと思います。
僕自身は他のアーティストとも組んで活動していますが、彼女を優先的にサポートしていこうと思っています。
もちろん海外での活動も視野に入れています。
○大分の方に向けて、メッセージをお願いします。
夏に大分でライブをした時、全然知らない中学生くらいの子が近づいてきて、「私も自信を持って頑張る」と言ったんです。
話を聞くと、大分でいくら音楽を頑張っても、どうせ限界があるだろうと、諦めかけていたらしく、東京に出て活動をしている同じ大分出身の私の姿を見て、刺激を受けてくれたみたいだったんです。
私自身も凄く嬉しかったのですが、大分で頑張る皆さんも、自分のやりたい事に向かって、今の環境で出来ることを頑張ってもらいたいと思います。
私も、皆さんと同じ様に、次の目標に向かって頑張っていますので、応援をよろしくお願いします。
故郷・大分を遠く離れ、自分が信じた道・自分だけが表現できる歌で、世界に挑戦する若い女性。
着飾ることなく、自分の言葉だけで独創的な世界を作り上げる彼女の才能を、羨ましく感じました。
きっとこの大分県にも、彼女のように大舞台で頑張って行きたい!と思う若者たちが、多くくすぶっているのでしょう。
大分に限らず、日本全国にいるはずです。
彼女の様に、その意思を貫き通す、初志貫徹の気持ちが大事なのかも知れませんね。
彼女とのインタビューで、印象に残ったのは、何と言っても自信を持った姿でした。
「何事も自信を持って…」なんて、そんな簡単な言葉では形容できない、そんなパワーを体中から発しているようにも思えました。
まだまだ続く、梨丘いるまのサクセスストーリーを、今後も故郷大分から、見守って応援していきたいと思っています!!
※この記事は2009年の1月に書かれたものです。
梨丘いるま
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