2010/01/25

竪穴式住居前で一服 割掛遺跡史跡公園

思い起こせば、小学校の授業で、「邪馬台国の宇佐説がある」と習った記憶がありませんか?今でも私は、大分が古代から栄えていたことを信じて止みませんw
国東市から宇佐市にかけて、それを証明するかのように、多くの遺跡や史跡が存在しますよね。

そんな太古へのロマンや夢を抱かせてくれる、大事な遺跡が豊後高田市にあります。

割掛遺跡史跡公園

現在に甦った太古の時代の家。
大昔の大分県民はいったいどんな生活をしていたのでしょうか?

割掛遺跡は登山愛好家には意外と知られているそうです。それはこの史跡公園のすぐ傍に「応利山」へと登る登山口があるので、その入り口の目印として、または休憩の場としてよく利用されるからです。
前を走る県道からでもはっきりと分かる、大きな竪穴式住居の復元。何と言っても、これが一番の目印。

近くに行ってみると本当にデカイ!!
2,000年も前にこのような住居を作る技術があったのか?と今更ですが感心する事になるでしょう。
ではこの遺跡の解説を、現地の説明文より抜粋してみます。

割掛(わりかけ)遺跡は1992年の発掘調査によって確認された、弥生時代中期から古墳時代前期にかけての墓地を伴う集落跡と、鎌倉時代から室町時代にかけての堀や土塁を廻らす館跡との複合遺跡です。
弥生から古墳時代にかけての遺構としては、竪穴式住居跡が20数基と石棺墓・石蓋土壙墓が5基確認され、石棺墓などの内容や副葬品からみてこの地域の拠点的集落の南端部を占める遺跡であることが解りました。

中世の遺構としては、13世紀代の館跡の一部が確認されました。館跡は1辺80m以上に及ぶ掘割を持つもので、この当時の館跡としては西日本では最大級の規模です。
現在、遺跡の大部分は保存され水田の下に埋まっています。1993年8月12日に遺跡の一部が市の史跡指定をうけました。

>現在、遺跡の大部分は保存され水田の下に埋まっています。
ちょっとこの言葉の意味が分かりかねますが…凄い内容ですよね。
竪穴式住居よりも道路側に、説明文にある石棺墓があります。中には赤い塗料も確認できました。
一番大きなお墓はどうやら酋長クラスのお墓だった可能性が高いらしく、一緒に出土された剣なども保存されているそうです。

現在はその名の通り公園として整備され、駐車場はもちろんトイレも用意されていますし、何と言っても無料で入れるのですから、憩いの場・学習の場としては最適ですよね。
まるで時間が止まったかのように、古代の生活感を感じながら、ドライブの休憩として利用できる割掛遺跡史跡公園
国東方面、豊後高田市方面に行く際は、ちょっと寄ってみるのも良いでしょう♪

割掛遺跡史跡公園
豊後高田市来縄

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