2010/01/13
巨大熊手・巨大破魔矢・巨大絵馬 大分縣護国神社
大分市での初詣スポットといえば、各地のいくつかの神社・寺院が目に浮かびます。そんな中でもここ数年、話題を独占する勢いで人気急上昇中の神社があります。
『大分縣護国神社』
正確には大分縣護国神社と書きます。我が国の歴史の中で、戦火の中で命を落とした多くの国民を英霊として祀る神社。ここ数年では、かなりエンターテイメント性豊かな神社でもあるのです。

大分縣護国神社は大分市を明野方面へと上がる坂道の上り口にあります。 大きな看板が目印ですが、知らない人も少ないですよね。それだけ大分市を代表する有名な神社の一つです。 急な坂道を車で上がっていくことになりますが、毎年参拝者の多い三が日は、下の中学校が臨時駐車場として解放されていましたので、歩いて上っている参拝者も少なくありません。
ただし私がお邪魔したのは10日近く。出店はさすがになかったのですが、それでもまだまだ参拝者は多く、車も多かったです。
広い境内の中で、一際目を引く二つの大きなモニュメント。これが、昨今の護国神社の人気を支える秘密。 右手側に見るのは、『日本一の大熊手』。
七福神を中心に家内安全と商売繁盛が描かれた縁起物。高さは12mといいますから、どれだけデカイものか、想像がつくでしょうか? これだけの大きな熊手なら、かなりの福を掻き集めてくれそうですよね♪
その熊手の下には開運太鼓が用意されていましたので、賽銭箱に賽銭を入れて、この太鼓を打ってみました。 予想以上に大きな音が出たので、思わずビックリしましたが、熊手と同様、この太鼓の音で福を呼び寄せるような気にもなってきます。 何とも縁起の良い感じが素晴らしいですよね。
一方、左手側には『巨大破魔矢』。
こちらの高さは実に18.8m。 昨年も登場したこの巨大破魔矢、実は愛知県犬山市の針綱神社が横たわる破魔矢の長さを伸ばしたため、日本一の座は譲り渡したものの、横に置かれたものと、突き刺さったもの、どちらの破魔矢に迫力があるか?想像でも分かりますよね。 護国神社の破魔矢は、鉄製で重さ2t。重量感抜群の破魔矢は、どんな魔物も寄せ付けない力強さが備えられています。
こちらの下には、安全祈願の鐘が準備されていました。 記念撮影する人も後を絶たず、大人気の巨大熊手&破魔矢。 ただ大きいだけではなく、こうして意味を成しているところが素晴らしいと思いませんか? もちろん私も両方でお賽銭を投入し、今年一年の福と安全を祈願してきました。
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また本殿の前では幅5mという『巨大絵馬』も出現。多くの参拝者がここで記念撮影をしていました。 確かに、熊手や破魔矢は、高さが高すぎて、写真に収まりきれないので、記念撮影には向いていません。 しかしこの絵馬なら、横幅が大きいのですから、良い具合に記念撮影が出来るわけです。 ちょうどこの時は中学生の女の子達がキャーキャー言いながら撮影してました。こんな初詣の姿も珍しいですよね。
では大分縣護国神社についてご説明します。 全国各地にある護国神社と同じく、大分縣護国神社も大分県縁故の英霊約4万4千柱を主祭神とし、殉職警察官・自衛官を相殿に祀る内務大臣指定護国神社です。
明治7年(1874年)、大分県初代県令・森下景端が、佐賀の乱の戦死者15柱、台湾出兵での病死者3柱、明治維新の勤皇の志士など5柱の英霊を合わせて祀り、翌明治8年(1875年)10月18日、慰霊顕彰のために招魂社を創建したのが始まりだといわれています。 以降、西南の役、日清日露の役など、多くの戦役での殉職者を祀ってきました。
創建当時のご社殿の位置は現在の北側展望台の地点で、現在の社殿にご遷座するまではずっとそこに位置しました。 昭和十八年十月二十八日、現在の社殿の大造営が完成してご遷座祭が行なわれ、二十二年、社号を「豊霊宮」と改称しましたが、日本の主権回復後、二十七年九月、再び「大分縣護國神社」と元の社号にかえりました。 歴史上有名な人物では、戊辰戦争で薩長と戦った、鬼の官兵衛こと元会津藩家老佐川官兵衛などもここに埋葬され、他にもここに埋葬されている多くの西南戦争没者は、会津や奥羽の出身士族だと言われています。
ユーモア溢れる数々の仕掛けで、今や人気爆発の初詣スポットとなりつつある、大分縣護国神社。 そして2010年を笑顔で迎えることができる、大吉の嬉しい洗礼♪
巨大熊手で大きな福を手繰り寄せ、巨大破魔矢で邪心を打ち払う、そんな縁起の良い決心をさせてもらった三社目の初詣になりました!
これで今年も無事に三社参りが完了。今年一年も素晴らしい年になりますよに。














