2009/12/18

冬粋彩から始まる、新しい大分の冬

三年目となる別府市の冬の新しい風物詩、『冬粋彩』が開催されています。

別府公園を広範囲で彩るイルミネーション、鮮やかな光で染めてくれるクリスマスツリーの見事な灯り。

子供から大人まで、クリスマスを待ち遠しくさせてくれる、素晴らしいイベントです。

今日は開催中のイルミネーションを三年前、つまり第一回の冬粋彩の画像と共に紹介しながら、そもそも別別府公園とは何なのか?チッカマウガツリーとは何なのか?改めて考えてみたいと思います。




チッカマウガツリーは別府公園の中にある、大きなヒノキのことです。
別府公園の場所は今更説明する必要もないですよね。
別府市役所やビーコンプラザの近くにある、あの緑がいっぱいの大きな公園のことです。チッカマウガツリーは別府公園の中にある、大きなヒノキのことです。



第二次世界大戦後、別府市をキャンプ地としていた米軍は、戦後11年という長い間、このキャンプ地を利用していていました。
彼らのキャンプ地があった場所こそ、現在のこの別府公園。
彼らはこのキャンプ地の事を、「キャンプ・オブ・チッカマウガ」と呼んでいたのです。



その後、米軍の別府市撤退と共に、キャンプ地は公園として整備され、今の別府公園の形になりました。
当時、駐屯していた米兵達が移植した大きなヒノキが今でもキャンプ地の名前を取って「チッカマウガツリー」と名付けられているのです。
キリシタンの多いアメリカ兵たちは、12月になると、このヒノキをクリスマスツリーに見立てて飾り、遠く離れた祖国の家族や恋人を想い、聖夜を過ごしました。
これが別府市おいて初めてお目見えしたクリスマスツリーと言われ、冬粋彩の開始前から続いていたチッカマウガツリーのイルミネーションの発祥です。

チッカマウガに駐屯した米兵は、もちろん日本で戦争をすることはありませんでした。
しかし、ここから派兵し、多くの死傷者を出した戦争があるのです。
それがあの、朝鮮戦争です。
異国で死んでいった若い兵士達は何を思い、このツリーに飾りをつけたのでしょうか?

国際的にも不安定な世の中。
だからこそ、チッカマウガツリーのイルミネーションが持つ意味は、実は都会のどのイルミネーションよりも大きいの様な気がしませんか?
今ではチッカマウガツリーに触って願いごとをすると、願いが叶うという噂まであるそうです。

冬粋彩のイルミネーションの大きな特徴は、問答無用の電球の数。その数は毎年豪華に増え続け、今年は何と18万球。
また目に映える、青と白が非常に印象的で、冬の寒さと良く合い、よりロマンチックに感じる事ができるでしょう。
LEDを中心にした電飾は現代風で、これからの若者達にとって、冬の定番となるのを約束されたような風景。
さらに踊っているような明かりの点灯が、光の波を思い浮かばせて、さらに刺激的。近くに長い時間いると、目がチカチカする様な感覚にまでなるほど。それだけ光の世界へ引き込まれていきます。

それでは三年前、第一回の冬粋彩の店頭の瞬間を動画でご紹介しましょう。

冬の別府公園に突然現れた幻想の森。
その正体は、平和と家族と大事な人を想う、純粋な心でした。
こうして歴史と真実を知ることで、また少し冬粋彩の鮮やかなイルミネーションが違った色合いに見えるかもしれませんね。

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