2009/11/10
縁の下の悪魔達 最終話
※この記事は2008年の4月に書かれたものです。
この週末のゲームは、今季ホーム最終戦。
多くのブースターが駆け付けた別府ビーコンプラザ。
もちろん私も日曜日のホーム最終戦にお邪魔しました。
2,700人超のブースターが今季最後の悪魔達を声援で後押しする中、私はこの企画の締め所を考えていました。
縁の下の悪魔達
今日で10回目を迎える連載企画も、いよいよ今回で最終話になります。
ボランティアの精神とは何なのか?
彼らが何を思い、何のために活動を続けるのか?
約半年間、追い掛けてきたこの問いに、当ブログなりの結論を出す時がやってきたのです。

最終話 縁の下の仲間達
この日私はスタッフの方にこうお願いしました。
「ラストを締めくくるに相応しい人物のお話を聞かせて下さい。」
そうしてこの日お会いしたのが、ヨネスケさん。実は私と同じ歳。ブログもお持ちでした。
参照:ヨネスケさんのブログ レゲエとバスケと日々是平穏
別府出身で、現在は大分市に住んでいるヨネスケさんは、新日鉄の構内で働いているそうです。
チーム発足初年度からボランティアとして働き、今年で三年目。DBP(デビルズ・ブルー・プロジェクト)のリーダーとしてシーズンを通して頑張ってきました。
バスケット経験者なのか?と思いきや、実はそうでもないみたいで、社会人になってから少しかじった程度なのだそうです。
ヨネスケさんがボランティアに興味を持たれたのは、もう12~3年も前の話。
日韓W杯のあった2002年に、初めてスポーツボランティアに携わり、三年前地元別府に出来たバスケットボールチームに興味を持ち、早速参加したというアグレッシブさ。
「人に喜んでもらうことが好きなんです」こんな言葉が嘘に聞こえないのが、彼らの素晴らしい点なんですよね。
白紙の状態からスタートしたDBPに、ルールやマニュアル、もちろん歴史さえ作ってしまった初年度からのボランティア参加者。
今年は初めてリーダーも設けられ、後輩への指導もヨネスケさんの仕事の一つになりました。
「ボランティアの楽しさを知ってもらいたい。ただそんな気持ちです。」
こんな話を教えてくれました。
まだまだ手探り状態だった初年度、会場に入るのを怖がって泣き始めた子供がいたそうです。
ヨネスケさんは子供の手を取り、あやしながら何とか一緒に会場に入ってあげたそうです。
試合終了後、そのお子様が満面の笑みで会場を後にしたのを見た時、ヨネスケさんはこの仕事のやりがいを見つけたのでした。
「人が好きだし、子供が好きだし、話しをするのが好きなんです」
「日常では味わえない色々な感動に巡り合えたり、色々な人に巡り合えたり…それによって新しい自分を発見することができるんですよ」
ヨネスケさんの言葉には説得力があり、様々な経験が織りなす多くの言葉に、まるで自分が経験したかのような錯覚にも落ちました。
彼らが何かミスを冒した時、責任を負うのは球団なのだと思います。だけど彼らにそういう意識は毛頭なく、むしろ自分達の出来る事以上のものを、表現しようとしています。
私はこの企画開始前、そこを「チームのために」という意識が強いのだろうと思っていました。ところが、彼らの根底にあるものは、そんな安っぽいジャーナリズムではなく、「お客様のため、強いては自分のため」そんな意識の高さに毎回驚かされたものです。
「今、自分に何ができるのか?自分に迷っている人は是非参加してほしいです」
ヨネスケさんのこの言葉は、私の心に深く響き、そして多くの人に聞いてもらいたいな、と感じました。
「僕らも大分ヒートデビルズのエンターテイメントの一つだと思っています」
いつでも明るく、決して自分達の活動に驕ることなく、それぞれの考えうる意識の中で最高のパフォーマンスを見せてくれたデビルズ・ブルー・プロジェクトの皆さん。
今シーズンもお疲れ様でした。
また来年、皆さんが作り上げる大分ヒートデビルズの試合会場に、私は勿論多くのブースターが魅了されることでしょう。
それが皆さんの力によって演出されていることを知る人はまだまだ少ないかもしれません。
でも私は知りました。
あの華やかな舞台の裏側で、多くの汗が流されていることを。
選手たちが華麗に輝く会場の外で、真剣にお客様のことを考えている人がいることを。
そして、大分ヒートデビルズの縁の下で、自分を必死に探している悪魔達がいることを。
色々な話を聞かせてくれたヨネスケさんに最後にこの質問をぶつけてみました。
「来年も参加しますか?」
ヨネスケさんは、最高の笑顔と満足げな表情を見せながら、こう答えてくれました。
「もちろん!」
デビルズの縁の下は、まだまだ安泰だと感じました。
※この企画を通して、取材協力していただいた球団関係者の皆さん、DBPスタッフの皆さん、そして閲覧者の皆さんに心から感謝いたします。
※この記事は2008年の4月に書かれたものです。












