2009/08/12
栄華を偲ぶ 鯛生金山
日田市にある中津江村と言えば、あのカメルーンサッカー代表との交流で一躍「日本一有名な村」になりました。
しかしそれよりずっと以前…中津江村には映画館や、飲食店が建ち並んでいた時代があったんです。
その原動力となったもの…
『鯛生金山』
現在は道の駅にも登録されている、この一大観光施設を今日は紹介します。

まずは鯛生金山の歴史に触れておきます。
・明治27年 通りかかった行商人が偶然金を発見(実は諸説あり)
・明治31年 地元の田島氏と鹿児島の南郷氏によって小規模の発掘開始
・大正 7年 新たに鉱業権を得たハンスハンター氏により、大掛かりな発掘開始
・大正14年 木村氏がハンター氏から受け継ぎ、派遣された薬師氏を中心についに大規模な金脈を発見
・昭和初期 九州各地の金鉱山を次々に買収し、東洋一の産金会社として名を馳せる。
・昭和13年 産出量2.3トンと国内第一位を記録
・昭和16年 大東亜戦争勃発 この頃から金産出量は下降線をたどる
・昭和20年 戦争激化と共に施設が次々と撤去。実質的な閉鎖。
・昭和31年 新鉱業㈱と住友金属鉱山㈱の共同出資により新操業体制が取られる
・昭和35年 青化精錬所が建設
・昭和45年 新たな金脈は発見できず休山
・昭和47年 閉山
全盛期であった昭和8年から13年頃には、従業員が3,000人を超えていたと言います。その頃、中津江村には映画館まであってかなりの賑わいであったと資料には書かれています。
驚くのは閉山したのが昭和47年ですから、そんなに大昔の話ではないということです。
説明が長くなりましたが、鯛生金山の目玉の一つである「砂金採り体験」。ゴールドハンティングと名づけられていました。
まさに一攫千金!!中津江んドリームw
もっともそんなに凄い金があったらまだ会社は続いているわけで…(汗)でも体験してみるのは楽しいですよ。
子供達も夢を膨らませて、砂を慎重に見定めていました。

そしていざ!鯛生金山の中へ。
観光施設と化した金山内部には、多くの場所に説明文と共に、当時の作業員の格好をしたマネキンが作業をしていました。
見方によっては、これが実に不気味(笑)
でも確かにこれがなければイマイチ説得力に欠け、あるからこそ臨場感あ溢れる観光施設になっているのでしょう。
鯛生金山には『地底博物館』というサブタイトルが付けられています。
海抜0m、地下500mという位置にある、この金山にまさにぴったりの名前。
そこは確かに人工的に作られた施設ではありますが、当時ここで働いていた方たちの、情熱・熱意・喜怒哀楽を様々な場所で感じ取ることが出来ます。

それだけ、現地にはまだ当時を偲ぶ、多くの施設や道具が残っています。
驚いたのは金山内部の肌寒さ。
私が行ったのは20度中盤からいの暖かい10月中旬。まだ半袖のポロシャツでしたが、中はひんやりと涼しかったです。
またその広さにも驚きました。
普通に歩いても15分以上は掛かります。
ちゃんと全ての説明文を見ながら、ルート順通りに歩けば30分は掛かることでしょう。

金山を出ると、レストランや売店が、待っています。確かわさびが名産なんですよね?
あと、サッカーグッズショップも販売してますw実は正式な日本代表のユニフォームを買える、数少ない売店だったりします。
もちろんあの不屈のライオンのグッズが買えるのも、中津江ならでは

ところで…昨年の2月、この鯛生金山が全国放送のニュースで大きく取り上げられました。
金山内部にある二匹の純金製の鯛。この内の雄の鯛が盗難されました。
8年ほど前、村が金山運営の利益などを利用して作った目玉の一つで、長さ約70センチ、重さ約30キロだといいます。
続報を耳にしてないのでまだ犯人が捕まったり、返却されたりしてないのでしょうか?
鯛生金山の栄華を偲ぶ象徴である、この一対の鯛には、莫大な税金も投入されていますし、村の皆さんも大変残念に思っているでしょう。
とにかく私が行った時は、間違いなくまた2匹用意されていましたw
九州の一山村に栄華をもたらした金鉱脈。
それに携わった多くの人たちの情熱に触れながら、夢に思いを馳せるのも悪くないでしょ?
鯛生金山で感じることの出来る、「生きる」と言うことの必死さ。
一人でも多くの人に感じて欲しいものです。
鯛生金山
日田市中津江村合瀬3750
TEL (0973)56-5316
公式サイト
入坑券 大人 1,000円
中・高生 800円
小学生以下 500円
(砂金取り体験はの料金は別で、入坑券とのセット販売もしているようです)












